『赤めだか』メモ

昨日の読売新聞「本のソムリエ」で、加藤陽子先生が『赤めだか』を絶賛していた。

…(略)…
この本は落語好きにはたまりません。中学卒業を間近に控えた談春は、上野は鈴本で立川談志の毒舌に初めて接し「落語とは人間の業の肯定」との得難い言葉に出会います。十七歳で談志に入門するこの若者が真打ちになるまでの苦労話は、予想通りの出来です。しかし真に心を打つのは、ひとが全身全霊を懸けてひとを育てる尊さを文章に再現しえた、談春の卓絶した才能そのものに他なりません。
初稽古で「落語は俺のリズムとメロディで覚えろ」と師匠から口伝される場面に流れる甘やかな空気。桂米朝に「除夜の雪」の稽古をつけて貰いにゆく場面の、針が落ちても聞こえそうな緊張感。五代目柳家小さんと談志の遺恨を、談志の弟子として落語の芸の力で突き崩してみせた情と理。一冊の本でこれだけをなし遂げた談春の高座に通い詰めるのが宜しいようで。

「ひとが全身全霊を懸けてひとを育てる尊さを文章に再現しえた、談春の卓絶した才能」というのはまさにその通り。あと「五代目柳家小さんと談志の遺恨」とあるが、「遺恨」と表現するしかないよな、と思いはするものの、「遺恨」という言葉ではそぐわないような感じも残って、ちょっと引っかかりを覚えた。細かいんだけど。