「げんしけん」

12話を見終わる。これは名作。何といっても「春日部咲ちゃん」萌えである(声優が特に素晴らしい)。
春日部は非オタクなのだが、オタクの高坂に惚れてしまい、「現代視覚文化研究会」という大学サークルに入会する。オタクを毛嫌いし、非常に乱暴な言動を見せる春日部だが、高坂への想いは一途、オタクを理解しようとする面も持ち合わせている。
この「一途さ」はオタク文化を嗜好する他のサークル会員とも共通する要素である。元来、オタクたちは内向的な性格を持つ。彼らのオタク活動へのストイックさ(=一途さ)は、世間と折り合うには純粋すぎる彼らの感情の有り様を反映している。
「純粋であるがゆえのストイックさ」という点で、高坂とオタクたちは共通しており(高坂の場合は恋愛であるし、他のオタクにとってはオタク活動がそうである)、「ストイックで純粋であるがゆえの、ある意味での不器用さ」が、この作品の全体に通底する「切なさ」の雰囲気を生んでいる。
この「切なさ」を最も体現しているのが「マダラメ」だろう。彼の「春日部に対するほのかな恋愛感情」(が存在すると私は見た)は、自意識過剰の内閉的なループを描くだけだが、この「自意識過剰」は春日部の乱暴な言動によって救われていると同時に、春日部自身の「不器用さ」と時にシンクロしあって*1、「ああ、これがツンデレなんだなぁ」と納得させられる。
12話、「就職活動」が始まるマダラメは会長職を笹原に譲る。趣味にだけ耽っていられる純粋な時間は永遠には続かない。純粋さを貫く場としての「げんしけん」は、その特権性が青春の特権性をそのまま意味するだけに*2、これまた「切ないなあ」と思わせられるのであった。

*1:そもそもフツーに美人な春日部が、マダラメとの間に「オタクvs非オタク」という形での「非社交的・社交性」を成立させている時点で、これは春日部における「不器用さ」を証だてるものだろう。

*2:オタク文化と「学校」が親和的なのもこの特権性ゆえのことだろう。