佐藤忠男氏の講演

2008年3月21日は川喜多かしこ(1908−1993)生誕100年の記念日に当たります。川喜多かしこは、東和商事(現・東宝東和)の社長で夫でもある長政とともに、戦前より数々の優れたヨーロッパ映画を日本に輸入するかたわら、日本映画の海外への普及や、「アート・シアター」運動、「フィルム・ライブラリー」運動にも先駆的な役割を果しました。/映画史にさん然と輝く名作を我が国に紹介し、映画で世界と日本を結びながら、映画文化の向上に生涯を捧げたかしこ夫人は、海外でもそうそうたる映画人の尊敬を集め、「マダム・カワキタ」の呼び名で親しまれました。その存在はまさに日本の「映画大使」と呼ばれるにふさわしいものであったと言えるでしょう。

話が上手いひとだった。1950年、『羅生門』で日本映画への注目が集まり、日本映画を海外に紹介するための体制づくりの一環として、フィルムセンターが創設された。アンリ・ラングロワなども関係して、パリで130本ほどの日本映画が上映され、これがフィルムセンターのアーカイヴの根幹となった。
『未完成交響曲』や『たそがれの維納』などは日本のみで評価されたが、逆に衣笠貞之助の『地獄門』は海外のみで評価された、これは日本人のヨーロッパ像、欧米人の日本イメージにそれぞれ合致していたから、という話も面白かった。『地獄門』は確かに恐ろしく退屈だった。
アート・シアター系のミニシアターが本当は海外の芸術映画のために設立された、という話にも「なるほどね」と思った。