『論座』も終焉

論座』最新号を見ていると、やっぱり無くなるのは惜しい雑誌かもしれないと思えてくる。川出先生の論考がとても重要。「集団はデモクラシーにとっての敵なのか、味方なのか」という観点から、デモクラシーの「共和主義モデル」(仏)と「多元主義モデル」(米)が対比され、個人化への趨勢が見据えられた上で、「多元主義モデルを基礎とし、市民社会のさらなる活性化をめざしつつも、諸集団をゆるやかに統合する外枠として共和国が遠景のように控えている、そのようなあり方がこれからのデモクラシーのモデルになっていくのではないか」(26)と指摘される。中間集団の専制を批判するだけでは、実効的な政治構想はもはや可能ではない。
国民国家と資本に代わる『信用システム』をいかに創造するか」と題された白井聡氏の論考も面白い。ネグリ柄谷行人宇野弘蔵)のコミュニズム論を対照して論じる手つきは、とても鮮やか(生産過程における〈共〉性の実現、流通過程における生産消費組合)。ただし、労働を人間にとって本源的な事態と捉え、両者のコミュニズム構想を止揚する共同体の創設を目論むのは、(極左だから仕方がないとはいえ)あまりにも危険ではないかと感じられる(コミュニズム論にそれだけの思想的ポテンシャルがあるとして)。
論座』休刊の背景については、宮崎哲弥の指摘が気になる。「メディア各社は高収益と高い給与を確保するために、不採算部門をどんどん切り捨て、報道や言論とはまったく無関係な事業に進出している。いま、新聞社、通信社や放送局が一番力を入れているのが不動産事業でしょ。名だたる大手メディア企業が所有の不動産再開発計画を進めている」(151)。この背景には、「ネットやケータイの影響で、販売収入、広告収入が激減」という事態があるわけだが…。