長崎俊一『西の魔女が死んだ』(2008)

1時間45分 出演 サチ・パーカー、高橋真悠、りょう、木村祐一
中学生になって学校が苦痛になったまいは、山奥に暮らす祖母のもとで、幸せに生きるための活力を育む“魔女修業”を受けることに…西の魔女と呼ばれる祖母と孫娘の心の交流を綴った、梨木香歩原作の大ロングセラー、感動の映像化!! http://nishimajo.com/top.html

家庭教師をやっていた時、「感想文をどう書いたらよいか分からない」と言われて、原作を読んだことがある。わりと楽しめたが、よく分からない映画だった。ストーリーが子ども向きだからだろうか?
(1)不登校になった主人公の苦しみ(女子の国はいつも内戦)、(2)自分の生活を見つめなおすイギリス風田舎生活(美しい自然との交流)、(3)死ぬってなに?(死んだあとどうなるか?)、(4)habitusの違う人間に寛容でいられるか?(多文化主義の問題)、という4つの主題が見てとれる。
「自然と交流するなかで、生命のことを深く考えた」という意味では(2)と(3)がつながるが、(1)と(4)は必ずしも有機的に繋がっていない。「どういうことなんだろうか?」と不思議に思った。
とくに(4)については、極めて差別的な設定で木村祐一の存在が描かれており(ちょっとマズいんじゃないかというくらい)、それはイギリス高級生活を楽しむ主人公たちとまったく異質なので、どうなるのか期待を抱かせたのだが、やはりうまく着地していなかったような気がする。
あと(3)であるが、「死ぬことを恐怖する子ども」については、この映画に限らず、しばしば問題とされるが、私にはよく分からない話だ(永井均とか、福田和也宮崎哲弥とか)。「死んだら魂が離れて…」とか語られていたけれど、私の考える「死」はそういうものではなく、少なくとも恐れるべき何ものかではない*1

*1:人間本位で「生死」を捉えてはダメだと思う。たとえばカブトムシは1年単位で生まれ、死んでいく。人間がカブトムシの命を外側から見たときのように、自分自身の命もそのようなものとして見なすべきだと思う。自分の命が特権的に尊いなどということは単なる勘違いでしかない。逆にいえばすべての存在は尊い