岡田英弘『日本史の誕生』(ちくま文庫)は激しくオススメ。「結論からさきにいうと、日本の建国は紀元六六八年であり、創業の君主は天智天皇である。これは東洋史学の立場から見て、疑いのないことだ」(136)。それ以前は「日本史」は存在せず、日本列島は中国史の一部に組み込まれていた。(以下、倭国王卑弥呼の例を参照。)
紀元一世紀初めの王莽の乱による中国の人口減少(五分の一)。「総合商社」たる漢の貿易活動は停滞、光武帝は57年、土着民のなかから「酋長」を選出する方式へ。「漢委奴国王」が出現(288他)。
184年の黄巾の乱も、以後の中国に大混乱をもたらした。戦争にかまけて深刻な食糧不足に陥り、「人口は五千万人強から一挙に十分の一以下の五百万年弱まで落ちこんで、これから四百年以上ものあいだ回復できない痛手を受けた」(90)。博多の倭国王も中国貿易の利権を失い失脚、倭人諸国連合も破綻。魏の司馬イが公孫氏を滅し、帯方郡卑弥呼倭国代表に公認する。
660年、百済王国が唐と新羅の連合軍に敗れる。『日本書紀』の「斉明天皇紀」に記された「異常な精神状態」。「倭人にとっては、韓半島と中国だけが世界だったので、アジア大陸を席巻する大帝国の唐と敵味方になったのでは、ヒステリーになるのは当然だ」(143)。天智天皇の663年、白村江で倭人艦隊は全滅。
これがきっかけとなり、『日本書紀』が「日本史」を創出。紀元前660年、神様が降りてきたとの主張(中国文明圏からの離脱表明)。自衛的・閉鎖的な国家的性格は、この政治状況のなかから生まれてきた。紀元前660年とは、後漢の鄭玄の歴史理論に基づく(1230年を1サイクルとして、661年は百済滅亡の翌年(辛酉=革命の年)、甲子は白村江の翌年)。

日本史の誕生―千三百年前の外圧が日本を作った (ちくま文庫)

日本史の誕生―千三百年前の外圧が日本を作った (ちくま文庫)

一歳年をとる。ずいぶんな年寄り。風邪気味でだるい。