フェルメール展には行かず

フェルメール展は結局行けずじまいだったが(一応まだやってるけど)、小林頼子『フェルメールの世界』(NHKブックス)はとても勉強になる好著だった。これを読むと、フェルメール作品の魅力は、17世紀オランダが置かれた歴史的状況と切り離しては理解できないことがよく分かる。
オランダは、1588年、スペインから実質的に独立し、1648年のミュンスターの講和によって独立国として正式に承認された。プロテスタントの市民国家であったオランダでは、教会や王侯貴族による物語画の注文が存在せず、オラニエ公の権勢も下り坂になると(「オラニエの間」の装飾計画の頓挫)、最初期には物語画を描いていたフェルメールも、風俗画、静物画(ヴァニタス)などの市民的ジャンルに画題を絞っていく。フェルメールは、前景主体の構図を好むカラヴァジストの影響、風俗画の鮮やかな色彩と質感へのこだわり(「デルフト眺望」)、透視法図の厳格な適用、などの諸要素を統合させ、独自の画風を模索していくが、フェルメールの絵に出てくる、日常的な行為に没頭する女性の姿は、「行為を静止させることによって、行為に随伴する感情的な経験を持続させ、瞑想的な集中力を高める」(140)という15世紀の祈念画と同様の効果を持つものであり、ここには、「15世紀祈念画の伝統」→「カラヴァッジョに影響を受け、宗教主題のドラマ性を追求したレンブラント(行為の欠如の効果)」→「風俗画におけるフェルメール」という影響関係が読み取れる、との著者の推理がとくに面白かった。
手紙という主題、姿勢の良さ、純潔意識などの社会史的な読み解きも面白い。1660年代のフェルメールの画風の繊細化については、次のように述べられている。

この種の新しい風俗画の登場は、修道院生活や僧侶の独身制度が廃止されたプロテスタントの国オランダで、社会の中心が教会から家庭へと移っていった時期とも重なる。しかるべき倫理観と道徳心を養い、まっとうな人間を育てる場は、いまや教会ではなく、清潔で健全な家庭生活に求められるようになったのである。そうした家庭には、露悪的、享楽的な情景を大胆な筆遣いで描いたかつての風俗画ではなく、新たなる家庭観を反映する室内を繊細なタッチで描き上げた新しいタイプの風俗画こそふさわしい。……
その上、こうした清潔で美しい家庭の情景を対象とする新趣向の風俗画は、画家たちに、絵画理論的に低く位置づけられる風俗画を描きつつも、神や聖人や神々が織りなす「理想の世界」を目指す物語画にいささかなりとも近づくことを可能にした。つまり、新しいタイプの風俗画は、社会の変化に応えるものであるばかりか、物語画を理想とする絵画理論を無視しえないでいた当時の画家たちにもきわめて好都合な絵画だったのである。(97−98)

「青衣の女」「天秤を持つ女」などでは光が柔らかく描かれている。オランダ風俗画はかなり興味深いと思う。

フェルメールの世界 17世紀オランダ風俗画家の軌跡 (NHKブックス)

フェルメールの世界 17世紀オランダ風俗画家の軌跡 (NHKブックス)