山中貞雄『人情紙風船』(1937)
脚本 三村伸太朗、撮影 三村明、美術監督 岩田専太朗、音楽 太田忠 キャスト 中村翫右衛門(髪結新三)、河原崎長十郎(海野又十郎)、助高屋助蔵(家主長兵衛)、市川笑太朗(弥太五郎源七)、市川莚司(猪助)橘小三郎後の藤川八蔵(毛利三左衛門)、御橋公(白子屋久左衛門)、瀬川菊乃丞(6代目)(忠七)、市川扇升(長松)、霧立のぼる(白子屋の娘お駒)、山岸しづ江(又十郎の女房おたき)
長屋で起こった首つり自殺。住人たちは葬儀を口実に酒盛りを始めてしまう。同じ長屋に住む浪人・海野。妻にもせっつかれて就職活動中だが、口利きを頼んだ毛利三左衛門は一向に取り合ってくれない。その毛利は、白子屋の主人は娘のお駒を家老に輿入れさせようと画策中。或る雨の夜、髪結い新三はお駒を誘拐し、白子屋が使うやくざ連中に一泡吹かせようとするのだが・・・。
武士ややくざに頭の上がらない長屋の住人たちは、弱腰・ねばり腰を使い分け、したたかそのもの。自殺騒ぎの葬式で「南無妙法蓮華経」と酒宴を催すシーンは、面白いがシニカルな感じがする。酒宴を開こうと、金魚屋と髪結が大家からタカる会話劇も、軽妙なのだが、どこか凄まじい。
彼らが軽妙なのは、苦しい自分の生活から距離をとる必要のためだろう。軽妙さは生きる知恵そのものであり、生活することの気魄へと結局は通じている*1。めくらはめくらを笑われて、ちゃっかり利益を引き出すのだし、髪結い新三は軽妙にお駒を誘拐し、やくざ連中に矜恃をアピールするのである。軽妙さからほど遠い浪人・海野だって、時には武士の誇りを捨ててでも、毛利がギャフンという姿を軽快に笑い飛ばしてやりたいと思うのだ。
だが軽妙さの裏側には、凄まじい現実がピッタリと張り付いている。この作品はそういう二重性を、非常に感覚的なイメージで描いている。
*1:軽妙さは悪に手を染める自由度をも生み出す。