竹島のはなし

近頃、竹島問題がかまびすしい。韓国の世論は、そうとう沸騰している模様。日本は、静観といった構えだが、私も、どうしてあんなに騒いでいるんだろう、といったくらいの気分。彼我の温度差は、いったいどこからやってきたのだろうか。日本の常任理事国入りにも、問題が飛び火している。
下條正男竹島は日韓どちらのものか』(文春新書)を読む。生臭い政治問題を想起させるタイトルだが、内容は歴史学。そりゃそうだろう。領土帰属の経緯は、歴史の問題だもんな。
竹島は日韓どちらのものか
結論からいえば、竹島日比谷公園くらいの面積しかないらしい)は日本の領土である。そもそも近代以前は、竹島について、日朝間で領有権問題が存在したことはなかった。日本政府は1905年、アシカ猟の基地として竹島を使用した経緯から、閣議決定によってこれを島根県編入するのだが、このときが竹島保有権確定の瞬間だったと考えられる。もちろん、朝鮮側からの反発はあったのだが、本格的には、1952年の「李承晩(イスンマン)ライン」の設定まで議論となることはなかった。
では、李承晩ラインでは何が主張されたか。韓国政府はこのとき、対馬領、波浪島とともに、竹島を自領土だと主張した。しかし、対馬はもちろん日本領だし、波浪島にいたっては存在すらしなかった(韓国側のハッタリ)。また著者によれば、竹島保有権主張についても、歴史的根拠はないという。
もちろん、韓国側の歴史認識はまったく異なる。韓国世論の沸騰の背景には、たとえば中学校教科書『国史』の次のような記述がある。

独島は鬱陵島に附属する島で、早くからわが国の領土とされてきた。(中略)朝鮮の粛宗時代、東莱にスム漁民の安龍福が、鬱陵島に出漁していた日本の漁民たちを追い払い、日本に渡って独島がわが国の領土であることを確認したこともある。その後も日本の漁民たちはしばしば鬱陵島付近に不法に接近し、魚を捕っていくことがあった……。

この史実が、韓国内では定着している。だからあんな騒ぎになっているのだ。しかし、ここで出て来る、安龍福という人物には要注意である。韓国では英雄らしいが、この人がすべての問題の発端になっているのである。上記引用にそって、説明しておこう。文中に出てくる鬱陵島というのは、竹島付近にあるやや大きめの島である。17世紀末の日朝間では、鬱陵島の領土帰属が、島根藩・対馬藩などを巻き込んで問題となっていた。最終的にこの島は、朝鮮側に帰属されることになり、一件落着となるのだが、そこで漁民だった安龍福が、複雑怪奇な立ち回りを見せたために、今日の竹島問題の火種が出来あがったのである。
事の経緯を、かいつまんで整理しておきたい。安龍福は、鬱陵島で日本の行政官につかまり、領土侵犯の生き証人として日本側に連れてこられた人物だった。しかし、その途中で眺めた隠岐島を朝鮮領土の島(干山島)だと思い込み、それを認めさせようと、帰国後、官吏をかたって、島根まで交渉にやってくる。もちろん、暴挙というしかないワンマンプレーであり、朝鮮側の国禁もおかす犯罪行為であった。しかし、日本から送還された安龍福は、朝鮮内の政情変化などもあって、しぶとく生き残る。それどころか、かれが政府に対しおこなった証言が、なんと歴史記述として定着してしまうのである。それというのも、朝鮮にもどった彼は、あろうことか、“日本側が干山島を朝鮮の領土だと認めた”とのウソの証言をおこない、この干山島というのが、現在、竹島と解釈され、韓国側の歴史的根拠となっているからである(ややこしすぎて、不正確かもしれません。各自で確認してください)。
そしてこれにもとづく歴史解釈が前面に出てきたのが、先述のとおり、李承晩ラインの設定時であった。1952年のサンフランシスコ平和条約において、竹島が韓国領土とされなかったことにあせった韓国政府は、李承晩ラインを引き(これは国際的にも不評)、日本側と対立する。そこでは、安龍福の「史実」にもとづく歴史的主張がおこなわれ、さらには竹島問題を、日本の帝国主義的性格の象徴とする見解が打ち出された。一方、日本側は、安龍福をめぐる歴史解釈に踏み込むことはせず、これまでは基本的に事なかれ主義の姿勢を一貫させている。現在の竹島問題へといたる議論の構図は、このような経緯で成立した。
しかし、なんだかなぁ、と思うのである。日本政府にはしっかりせえよ、といいたい。そもそも今回の問題においても、島根県議会が発端となっているのは、本来ならばおかしい。政府・国家が先頭に立って、この問題にあたらなければならないのである。もちろん、領土問題なんぞに下手にこだわるあまり、むやみに日韓関係を悪化させる必要はない。しかし、歴史的にそれほどこじれた領有関係があったわけではないのだから、歴史記述の適否にまでふみこんだ議論の場を設定する努力ぐらいは見せるべきではないか。そういう交渉をするのが、政府の役割ではないのだろうか。感情的になるのもよくないが(←韓国)、場当たり的な反対表明しか出来ないのもなさけない(←日本)。政治家はちゃんとやれ(←アジテーション)。