差別本:エピソード編

上記では、あまりに抽象的に『被差別部落のわが半生』を紹介してしまったが、本来ユーモアとエスプリに富んだ本なので、その面も紹介しておこう。
何と言っても、この著者、私の先輩なのである。1941年生まれで現奈良県県議会議員の著者は、高校は畝傍高校出身だが、中学校は青々中学であったという。

私は小学校六年のときに突然青々中学(現在の東大寺学園中学)に行きたくなった。当時の奈良県では、私立の青々中学、国立の奈良女子大附属中学と奈良学芸大附属中学が三大名門校だった。……結局強引に試験を受けた。試験の内容を見て「おや?」と思った。習ったことがない問題が四割ぐらいもあるのだ。……青々中学に入るときに父は「中学校へ行ったら、三宅村まではいいけど、上但馬というのはゼッタイ隠せ。ゼッタイにムラのことは言うたらアカン」と私に強く言った。(14−15)

もう一つ、紹介すべきエピソード。著者の母親のエスノグラフィー。

例えば昔の風習で「カタゲ」というのがあったという。いうなれば略奪結婚である。昔はムラに若衆宿と娘宿があった。ある若者がある娘に目をつけたとすると、若衆宿の仲間でその娘に一番声を掛けやすい男(娘の知り合いか親戚の場合が多かった)が、「ちょっと用事があるんや」と誘いに行く。で、暗がりに来たときにみんなでその娘に頭から風呂敷をかぶせてむりやり担ぎ、若者が持っている場所まで運んで行く。若者は娘を押し倒して乗っかる。早い話が強姦だから、決して褒められた話ではないのだが、ほとんどはデキレースみたいなものだったらしい。仲間があらかじめその娘に内々気持ちを打診しているわけや。/無事「実印」が押されて成立すると、仲間たちが娘の家や親戚に行って、「大変や。花ちゃんが太郎君にカタゲられましてん!」と触れて歩く。あっという間にムラ中に知れ渡る。そうすると若者の家の使いが娘の家に行って、「えらいすんまへん。太郎が花ちゃんに取り返しのつかないことをしてしもうたようで、お詫びのしようもありまへん」とひらあやまりにあやまる。娘の親は、「そんなもん、まかりならん。とんでもないこっちゃ!」と大声で怒鳴る。やがて近所の人たちが集まってきて、まあまあまあと双方をなだめ、「出来てしまったことは仕方あらへんがな」などと言って、一件落着である。/みんな知っているのだけれども、知らないふりをして芝居をする。ただし真に迫った芝居をしなければいけない、というムラの不文律があるから、みんな大マジメにやる。正式な結婚ということになると、結納だの持参金だの披露宴だの何だのとゼニがかかる。それが貧乏人には辛いから、カタゲという形をとって略式にするわけである。(115−116)

他にも面白いエピソード満載だから、ほんと、読んだほうがいいよ。