夜桜

12時過ぎて王子駅に着いたのだけれど、行き交う人がなんとも浮き足立った雰囲気で、ああこれは花見の客だなと独り思い、飛鳥山の夜桜でも見物しようかと坂をのぼったら、坂の途中のラーメン屋「みのめんた」には、常ならぬ数の客が入店していて、こんな夜に普通にラーメンをすするというのも、やはり花見の季節ならではなどと合点したのだが、気を緩めるとろくなことはないのであって、坂から降りるヤンキー集団の間をすり抜ける羽目に陥り、なんとか安全は確保したのだが、やはり深夜だ気をつけなくちゃと心をもう一度気を引き締め、そんなこんなで着いた飛鳥山には、桜よりまえに目に飛び込む強烈な色彩があった。それは一面に広がるブルーシートで、たしかにそれも鮮やかな青ではあるのだけれど、やはり桜を鑑賞する雰囲気には似つかわしくなく、そこらじゅうにいる花見客の様子にもあてはまることだが、桜はどうもお飾りにすぎないようであり、かれらは実の所、酒を飲む口実に花見を利用しているだけで、花を観賞しようという気などハナからなく、もちろん彼らの祝祭感覚じたいは、私にも理解はできることでもあり、それはおそらく、夜更けた時間感覚の非日常性に由来するものなのであろうが、せめてここでは私だけであっても、桜を純粋に楽しみたいとの孤独な決意を秘め、ともかく山をひとめぐりすることを試みると、どこからともなく聞こえてくるのは、なんともおかしな調べであり、その方向をすこし見やったら、私が見たのは本物のブルーシーターだった。彼は独りで座っていて、平たくいえばホームレスと思われる風体の人物なのだが、酒を片手にする彼のかたわらには、極彩色の音を奏でる壊れかけたスピーカーがあって、おそらくそこから流れているのは演歌なのだと思われるが、その旋律にはなんとも切なく、つい私は男の日常を空想するにいたり、それは次のような考えに私を導いたのだが、つまりこの男にとって今夜は、いや今夜に限らず桜の季節全部といってよいのだが、疑うべくもなく祝祭の夜であり、彼はいつもの孤独な夜から、花見の季節にだけ解放されるのだ。私はこのことに気づいたので、夜の花見はやはり祝祭なのだと素直に思った。