大村はま先生

うかつにも知らなかった。

「授業の神様」といわれた国語教育研究家の大村はま(おおむら・はま)さんが17日午前2時50分、くも膜下出血のため横浜市緑区の病院で死去した。98歳だった。 /50年以上、現場の「一国語教師」を通した大村さんは、退職後も著述や講演で新しい指導案などを提案し続け、数年前に足が弱くなってからも車いすで全国を回った。先月11日にも東京都目黒区内の中学校で講演、今月12日にはテレビ番組の収録に臨み、「話す力」「聞く力」を育てるための手法について話したばかりだった。16日朝、突然、自宅で倒れたという。 (朝日ドットコムニュース)

いまNHK教育テレビで、最後の講演会の様子や、対談の模様が放送されている。姿だけは98歳のおばあちゃんだが、話しの内容はきわめて明晰で知的だ。インタビューでは、敗戦直後の新制中学校での経験を語っている。混乱のなかで、学級もとことん崩壊していたのだそうだが、包装紙の新聞を教材にしたところ、「人の子とも思えない」生徒が、「人間の眼をし」て一心に学びはじめたという。大村さんは、一度使った教材は、二度と使用しなかった。同じ授業をして、生徒を比較したくないという思いがあったからだ。立派な人だった。
とはいえ、大村さんには信じることのできた、生徒たちの「学ぶことへのあこがれ」は、いまでは、素朴にあてにすることは出来ないだろう。この今日的課題を引き受けたうえで、大村さんが訴えつづけた「教えることの復権」をどのように構想していくかが、これからの重要な課題となるはずだ。

私のてびきを見てくださって、これはいいと言ってくださる方は多かったのに、同じようなものを誰も作らない。子どもの作文の書き出し文を見て、これではだめだから、「たとえば」と言って一、二行書き直してやるといい、若い方にそう助言しても、それを実行できない。それこそ悲願をもって指導してきた「話し合い」も、出たとこ勝負の野放しばかり。今どういう発言をするのがよいのだということなど、身をもって教えることができない。ことばの力こそ国を救うのではないか、と思って立ち上がった戦後の教師としては、情けないと思ってしまいます。/でもどうしようもない。本気になって教えてないのではね。子どもがかわいいから教師になりたいなんていう人が多いようだけれども、それだけではあまり子どもを幸せにすることがない。それに気がついてないという気がしますね。教えないことが蔓延している。(147)

上記引用は、大村はま苅谷剛彦・夏子『教えることの復権』(ちくま新書)より。これだけずばっと言えるのは、深い知性と、自分のやってきたことへの矜持があるからだろう。戦後教育の実践家の骨太さというのは、やはり何とも言えない魅力があるんだよな。ご冥福をお祈りします。