市ヶ谷での一幕、オーケストラの裏側

今日、家庭教師先の高校生の勉学意欲を増進させようと、市ヶ谷の法政大学まで散歩がてら大学案内を取りに行ったのだが、法政大学って、ボアソナードタワーは小奇麗で近代的だけど、本館の校舎はかなり汚くて狭い。人口密度が高いので、あらゆる場所で学生が駄弁っている。しかし、こういう感じは猥雑なエネルギーが溢れて出ていて、とても魅力的に映る。やはり敷地面積が広い大学は絶対に損である。学生でごった返しているぐらいの感じでないと、コミュニケーション環境が希薄になってしまうと思う。
で、ボアソナードタワーの受験生相談室というところがあったので、とりあえずそこに行くことにした。すると、大学全体の案内と、各学部の案内、入試問題などが並べてあった。やはりパンフレット作りには経営努力が集中的に投下されるのか、いずれも不必要なほどに上質な作りである。感心しながら冊子をめくっていたのだが、ふと背後に、小走りに走り寄ってくる人の気配を感じた。振り返ると、細身で初老の職員が立っていて、こう私に声をかけてきた。
「コウコウセイ?」
カタカナなのは、私にとって、この語のシニフィエを特定することが、あまりに困難だったからである。というか、「オッサン、ほんまに目ェ付いとんのか、ボケ!」と痛罵してよいほどに、私は明らかに高校生でない。もしかすると、学生服を着て『高校三年生』を歌う舟木一夫よりもさらに、私は高校生ではないかもしれないのである(喩えが古いが…)。もちろん、私は品性を備えているので、
「いえ、違います。」
と真面目に答えたけれど、この職員はたぶん、私が犬を見て「かわいい猫ですね」と云っても、「そうですね、ずいぶんと鼻の突きでた猫ですね」などと間の抜けた答えをするにちがいない。かりに「『思考停止』博物館」なんてのがあったとしたら、まっさきにホルマリン漬けにして陳列されるべき人物である。
それはともかく、今日の「にんげんドキュメント」は面白かった。

N響チューバ奏者38年ぶり交代の舞台裏・若き挑戦者」
にんげんドキュメント◇80年近い歴史を持つNHK交響楽団の一員になろうと夢見るチューバ奏者の池田幸広さんにスポットを当てる。昨年4月、池田さんは37年ぶりに行われたN響のチューバ部門のオーディションを突破し、仮入団を許された。正式入団を果たすには1年間の試用期間を経て、全楽団員の3分の2以上の支持を集めなければならない。大阪での仕事を辞め、家族とともに東京に引っ越してきた池田さんの収入は半減した。彼の挑戦の陰には、ベテラン奏者の多戸幾久三さんの引退があった。38年にわたってチューバ奏者を務めてきた多戸さんは、池田さんにそのすべてを伝えようとしている。

多戸さんは大ベテランらしいが、アシュケナージの指揮に切れて、ボソッと「どうすんだよ、そんなんじゃ出来ねぇよ」と呟いていた。オーケストラと指揮者の関係というのは、素人にはよくわからないものがあるが、そこにおそらく「戦い」が存在することについては、この番組からもおぼろげに理解することができる。テンボをちょっと遅くするだけで、金管の人は息が続かなくなったりするし、弦楽器だって「腕が痛いんだよ」といった不満が生じる。そういう個々の演奏者の技術的な格闘を十分にわきまえたうえで、指揮者は芸術的高みをめざすんだろう。しかし、そうした美しさの背景には、あくまで具体的な試行錯誤が存在する。それは、音楽の持つ陶酔とはかけ離れた労苦、といってよいだろう。小説や論文を書くのでも同じことだが、ただ鑑賞しているだけでは絶対分からない世界というものがあるものだ。