『性のプロトコル』

ヨコタ村上孝之1997『性のプロトコル』(新曜社)。周知のように、「恋愛」は、明治20年代に、北村透谷などによって論じられるようになった観念である。本書は、このテーマをめぐって、大衆文化や明治期文学などを素材に、様々な角度からアプローチしている。
なかでも興味深かったのは、「友情」と「恋愛」という観念の関係について。「恋愛」が精神的に対等な異性の結びつきでなくてはならない、というロマンティックラブ・イデオロギーは、「恋愛」にとって「性欲」は二次的なものでしかない、とする思考を生んだ。そうしたなかから、「恋愛」にとって親近性があるのは、むしろ「友情」だという観念が生じるようになる。「恋愛」のなかに「友情」の側面を見出す態度が、ロマンティックラブ・イデオロギーによって生まれたのである。
とはいえ、「恋愛」が発明された概念でしかないのと同様、「友情」も発明された概念でしかない。「友情」は、同性間での精神的つながりをさすものとして概念化されることになったが、このような「異性愛秩序」というのは、近代以前には存在しなかったのである。階層的な問題があるので一概にはいえないが、江戸期の「愛恋」というのは、基本的には(「地女」ではなく)「遊女」との間に成立するものであり、またそこには同性愛的秩序も並行して存在していた。それは、井原西鶴の「好色一代男」の好色の対象が、男性にも向けられたものであったことにもあらわれているとおりである。
したがって、「恋愛」という近代的観念は、精神の崇高な結びつきというイデオロギーのもとに、「友情」という概念を生み出すことになり、その「友情」概念は、それまでの同性愛的秩序を掘り崩すように作用したと理解することができる。また現代でも、恋愛において「尊敬できる」というポイントを強調する人は多いが、そういう「友情」に近い感覚は、ロマンティックラブ・イデオロギーに由来するものであることもわかるだろう。さらに、江戸時代的な感覚を中心に考えれば、「友情」に重みをおいて「恋愛」を語るという言説は、「性欲」について露わに語らないために作り出された「抑圧仮説」(フーコー)であると見なすことも可能となる。