マーラー第9番について再論

ちょっと前にも感激のあまりごちゃごちゃ訳の分からないことを書き散らしたのだが、マーラー第9番の別のCDをゲットして聴いてみたら、またまた素晴らしかったので報告しておく。そもそもこの曲自体が名曲なのだろうと思うが、今回聴いたのはブルーノ・ワルター指揮/ウィーンフィル(1938年)の演奏で、630円で購入したものである。私が何かを言うより、宇野功芳先生の雄弁の委ねた方が分かりやすいので、引用しておくことにしよう。

……どれか一枚といわれれば、この歴史的なライブ以上のものは見当たらない。何もかもが特別だからだ。全盛期のウィーン・フィル、ヨーロッパの没落を前にした異常な雰囲気(三八年一月一六日)。これはもはや演奏などというものではない。マーラーの肉声そのものだ。死への恐怖とうめきが、生への絶唱が直接心にしみこんでくる。人類の持つ最高の宝の一つがここにある。録音も十二分に音楽的だ。(宇野・中野・福島『クラシックCDの名盤』(文春新書)301ページ)

この文章自体が「異常な雰囲気」と感じられるかもしれないが、たしかにこの録音からは「異常な雰囲気」がありありと伝わってくるのだから、そうは馬鹿に出来ない。*1私の印象だと、以前に言及したバルビローリは、第四章に入ると完全に「死後の世界」モードに入るのだが、ワルター盤は「死にゆくものの生への哀惜」を奏でているように感じられるのが特徴である。どちらも甲乙つけがたい異常な美しさを表現しているものの、ワルターは「人生の終りの予感のなかで世界が輝きを放ち始める」といった感があるのに対して、バルビローリの方は「人智を超えた世界それ自体の美しさ」というイメージだといえよう。
いずれにせよワルターの演奏は、ドイツのウィーン侵攻という歴史の緊迫、ウィーン文化終焉の予感といった雰囲気のなかで、音楽という一回性芸術の本質をきわめて雄弁に語るものとなっている。皆さんも機会があれば聴いてみるとよいと思う。あと個人的には、バーンスタインや私のお気に入りのテンシュテットのものをさらに聴いてみたいと思う。

*1:私は文章ならば吉田秀和とか許光俊が好きだが(←この二人を並べるのもどうかと思うが)、推薦盤に関しては宇野功芳のものを選んでおけばそう問題は生じないという考えである。