モッコリ

今日は英語論文を読んでいたのだが、ここ2、3年は日本語ばかりに接する毎日だったので、最近は英語を読むのが結構つらい。で、たまたま本棚に突っ込んであった富田一彦『受験面白参考書 富田の「英文読解100の原則」』を見つけたので、それを読んでみると、名著だった。浪人のときに読んだ本であることが思い出され、懐かしかったが、やはり知性のある人だったんだなぁといまさらながらに感じる。大学に入ったばかりの私が、わざわざ東京にまで持ってこようと考えた理由がわかった。
ところで今日は近所の古本屋で、カルロス・クライバー指揮・バイエルン国立管弦楽団「ベートーベン交響曲第四番」を、なんと驚きの低価格250円にてゲットした。これは嬉しい。今は入手した喜びに浸っているので、聴く喜びはまた後で味わうことにしよう。二重の喜びを味わおうと思う。
また同時に、100円だったので伏見憲明『変態入門』(ちくま文庫)を買ってぱらぱらと読んだ。対談集だが、ペニス研究家の松沢呉一とのやりとりが面白い。伏見氏によると、ゲイはモッコリしている状態に興奮するらしく、「2丁目を歩いていると、顔よりも股間に自意識が表れてる方たちがけっこうウロウロしている」のだそうだ(290)。彼らはモッコリしやすいリーバイスの501とか、凝った下着をはくとかの工夫を重ねているらしい。私はそれでやっとルー・リード『Transformer』のジャケット写真の意味が分かった次第である。
それから松沢呉一がオナニーを始めたのが小学校2年生だというのにも驚いた。そんなに早くからする人なんているのね。松沢呉一には、風俗を知るためには必読の好著『風俗就職読本』(徳間文庫)や、セックスをするすべての人々に読んで欲しい浩瀚な名著『魔羅の肖像』(新潮OH!文庫)などの作品があるが、そういう仕事をする人というのは、やはり性的ポテンシャルも高いのだなぁ、と妙な感心をしてしまった*1。次のエピソードが微笑ましい(?)。

伏見 その頃のオナニーって、ちゃんとイッてたわけではないでしょ?
松沢 イクのはイッてた。
伏見 でも射精はまだないでしょう?
松沢 うん。精液が出たのは小学校5年ぐらいのとき。最初は小便が漏れてるんだと思ってた。小学校のときは、快楽の一方で罪悪感がすごかったんだよね。気持ちよければよいほど、ふつうじゃないと思ってた。当時こんなことをやってるのはたぶん世界で一人だろう、俺だけがこんなに気持ちいいに違いないとか、こんな気持ちいいことをずっと続けていると、死ぬに違いないとか。それがすごいコンプレックスになってたんだよね。それで精液が出たときも、「こんなことをやってるから小便が漏れるようなヘンな体になったに違いない」と思って、小学校5年ぐらいのときに1年ぐらいやめたの。でも小学校6年ぐらいのときにセックスのことがはっきりわかって復活した。で、それからは何の悩みもないな、オナニーに関しては。(294)

ところで私は、伏見憲明はどうも好きになれない。伏見の問題意識は、なんだか古臭いように感じる。戦略としては、「変態であることを積極的に語ることよって、性の多様性の認識を広げ、さまざまな性的嗜好をもつ人々が自由に生きられる社会を作る」といった感じになるのだろうが、いまや特有の性的嗜好が排除されるような世の中でもないし、多様性は十分すぎるくらい認められているわけで、それに伴う新しい課題にアタックする必要があるのではないだろうか。まあこれまでやってきたことを否定するわけではないのだが、時代遅れのオカマのような気がしてしまう。というわけで、この本はさっそく古本屋に売り払うことにしよう。

*1:私は家庭教師先の生徒が中学三年のときに国語力をつけさせようと『魔羅の肖像』を薦めた所、ほとんど文盲だった生徒が狂ったように読書に耽り、感激した憶えがある。それからの私は、彼に積極的にエロい書物を薦めた。ちなみにそのなかでもっとも喰い付きが良かったのは大槻ケンジ『グミ・チョコレート・パイン』である。たしかにこの小説は、青春小説としては空前絶後の名作である。あと山田詠美の『僕は勉強ができない』にも感動していたなぁ、あいつ。