「人間の条件」云々はヤバそうだけど

文献を読まされるのは嫌だ。自発的に読む読書がしたい。というわけで、読まなければならない文献の息抜きに、つねに違う本を用意している。今日は高城和義のParsons本を置いておいた。すると、第1章「Parsonsの人と学問」という伝記の部分が勉強になったので、少し紹介することにしたい。
Parsonsは、1902年の生まれである。彼の家系は17世紀にアメリカに入植してきたピュウリタンで、そうした宗教的雰囲気が、彼の学問にもきわめて大きな影響を与えたという。とりわけParsonsの父エドワードは、「社会福音運動」というキリスト教社会改革運動の指導者の一人として有名な人物であった。20世紀末アメリカは、急速な工業化・都市化の時代を迎え、都市のスラムかや貧困問題といった社会問題も発生していたのだが、「社会福音運動」は、福音の社会的性格を強調しながら、労働者・農民・貧困者らの惨状を解決するため社会改革運動を展開したのである。なお、これらの運動の展開によって、キリスト教は、1890年から1910年の間に、プロテスタント教会員の数を飛躍的に増大させることに成功したらしい。ちなみに社会福音思想には、「人間を神の摂理実現の道具とみなし、人は『神の国』実現のために働きつづけなければならないという、ピュウリタニズムの思想がしみこんでいるとともに、神の恩恵によって、人間にはそうした使命を実現することのできる力が与えられているとする、楽観主義」(18)があったとされる。こうしたことから考えて、ピュウリタニズムと楽観主義を二大支柱とするアメリカ人の典型的特質は、この頃に誕生したと言ってよいかもしれない。
さてともかくParsonsは、こうしたピュウリタニズムの発想を強く受け継ぐことになった。述べたようにピュウリタニズムは、この地上において「神の国」を実現しようとの現世主義的楽観主義の発想を持ち、社会福音運動は、貧困問題を、個人の問題としてではなく、社会的条件を変更することによって解決しようと企図した。こうした知的影響のなかで、Parsonsは自由放任主義個人主義を批判し、またHobbes的な社会秩序問題に取り組むのである。また若き日のParsonsは社会主義に傾倒し(マルクス)、左翼的な学生運動にも積極的にコミットしたという。19世紀末から20世紀初頭のアメリカでは、(アダム・スミス的自由放任思想ではなく、)人間の努力によって社会変革を目指す思想潮流が芽生えていたが、Parsonsは、この潮流をまさに主導した人物だったといえるだろう。ちなみにヴェブレンを始祖とする制度派経済学も、この時期、同様の背景のなかで影響力を増しつつあった。
Parsonsは米国におけるWeberの紹介者としても知られるが、その理由も以上のことと関係する。Weberに魅了された理由について、彼は次のように語る。

私は、その当時主張されていた経済行動の功利主義的みかたにたいして、Weberが最も根源的な挑戦を定式化していたということによって、その答えとしよう。すなわちWeberは、生産的な経済行動を、宗教的こどばによって動機づけられた天職――Weberは、その書物で研究した一七世紀のピュウリタンの著述家たちがもちいていたcallingという英語の述語を採用した――、と解釈することができると考えた。この考えは、あらゆる経済行動を動機づけているものが、まさしく自己利益の合理的追求であるとする正統派〔=古典派・新古典派経済学〕の主張と、最も根底的に対立するものであった。(1981:186)(26)

つまり、功利主義的ではないやり方で、どのように社会秩序を構想するかという場合、まさしくWeberが注目したような領域、すなわち宗教的領域において、その道しるべを見出すことができるのだと、Parsonsは考えたのである。さらに、彼の過ごした1920年代のアメリカは大量生産・大量消費の時代に入り、「詐欺・瞞着や暴力ををもちいて自己利益を追求する行為が、大規模に出現し、「道徳的頽廃」が嘆かれた時代」、さらに「極端に禁欲的な主張を背景とした、「禁酒法の時代」」に突入していた。そうしたなかにあってParsonsが、社会福音運動と同じ動機の下、社会存立の条件を探究したことは、きわめて自然な成り行きであっただろう。彼の仕事は、①初期(行為論の基礎を構築する時期)、②中期(パターン変数論とシステム論の確立の時期)、③後期(四機能図式の時期)、④晩期(人間の条件パラダイム)、と区分けできるのだが、そこで常に目指されたことは、社会秩序の存立可能条件、すなわちHobbes問題であったのである。
なおWeberとは違って、Parsonsの場合、社会秩序の未来について、楽観的な構想を持っていた。これは先にも見たように、彼がピュウリタニズムの影響圏に生きた人間であったからだが、くわえて彼の生きたアメリカ社会が好況期にあったことも関係していると考えられる。Weberの場合、ヨーロッパ大不況の影響をまともに被り、それが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の最後の物言いへとつながる。しかしParsonsは、全く好対照な社会イメージを抱き得た。彼は社会体系をモデル化しつつ、個人次元に社会規範が内面化される機制に注目したのだが、「保守的」とのレッテルも貼られがちなこの理論枠組みは、そうした事情を背景にしていたのである。
さて最後に、彼が医療分野に注目した理由について。医師をはじめとする「専門職」の活動においては、自己利益と無関連な「公平無視」の態度が見出される。彼が目を向けたのは、このように利害から自由な規範の存立の仕方であった。現代社会において、このようなことが可能になっている条件を詳しく検討することによって、彼は、よりよい社会秩序を構想したのである。なるほど納得の着眼点、と言ってよいだろう。この本の著者によると、そうした医療領域の実践的観察を通じて、彼の理論体系というのは構築されているのだという。へぇー、である。