『右翼と左翼』

浅羽通明著『右翼と左翼』(幻冬舎新書)。大変よく整理された好著。おすすめ。以下、個人的な整理。
世界の動き

  • 左右の対立軸が有効でありえたのは、1789年から1989年までの200年間だった。
  • 政治的・経済的権利が追求されたフランス革命において王党派とジャコバン派の対立から始まった左右の二元構造は、フランス革命自体がそうであったように、左翼勢力が伸張するかたちで進行した。
  • だが19世紀末になると、国民国家帝国主義の時代が始まり、労働者階級の世界的連帯を説く左翼とドイツ的な郷愁的ナショナリズム等を含みこんだ右翼との対立、すなわち「国家かコスモポリタニズムか」という新たな対立軸が加わった。
  • しかし、資本主義システムが南北問題を前提にしはじめると、民族独立という課題が表明されるようになり、「西側陣営に属する開発独裁/東側陣営に属する社会主義政権」といったナショナリズムを肯定する左翼が生まれた。これは国民国家化を進んだフランス革命への回帰現象でもある。

日本の動き

  • さて日本では、「既得権益をもった社会層vs革新派」という対立は存在せず、そもそも左右の政治的概念は近代的概念装置として輸入されたものだった。これは佐幕派が社会層として維持されなかったことによる。
  • また帝国主義段階で近代化が開始されたために、「国家=体制vs非国家=反体制」の図式が受け入れられやすかった。そのため、極右と極左アジア主義のように、いずれも反体制的な性格を持つことになった。
  • 昭和初期になると「密教顕教」の二重性が影響して、高度国防国家を唱える昭和維新運動が生まれた。教育の面で流入していた顕教がクローズアップされ、国家主義的な右翼思想が成立した。

戦後日本から現代日本

  • 戦後日本の左右対立は、2つの理由で非本質的なものになっていった。
  • 第一に、右翼は親米愛国的枠組みを懐疑せず、また左翼は心情主義的平和主義のもとソビエト主導の革命戦略にまともにコミットしなかったことで(軍事力が必要ですよね)、両者ともに軍事負担を棚上げし経済的繁栄を追求する吉田ドクトリンに乗っかった。思想の現実性が失われていった。
  • 第二に、物質的要求から非物質的要求(実存的意味の追求)へと社会の要求がシフトするなかで、思想がサブカルチャー化していった。新左翼新右翼もマイナーで共感されない思想となり、政治的身振りは自意識の意味の飢えを満たすツールとなってしまった。
  • さらに現代社会においては、穏健な資本主義体制が確立されたために、その内部での対立構造がきわめて微妙な差を意味するにすぎなくなっている。
  • おまけに、経済的・政治的権利の対立構造(旧来の左右構造)だけではなく、社会的統制を政治的次元で強化すべきか/すべきでないか、といった対立や、価値観の多様化に起因する文化的対立なども、対立軸の構成要素に付け加わってきた。
  • こうした不透明性は、1989年の東西対立の終焉を境に、明白なものとして露呈するようになった。

といった次第で、大きな理念図式で社会を考えることが出来なくなっているというのが、左右構造が現在見えにくくなっていることの本質的理由なわけです。
ただ、文化左翼をぶった斬る著者の立場には大賛成な一方、正しい「権威と秩序」を可能にする普遍的思想(宗教)を構築すべし、という処方箋は大雑把すぎるかと思いました。私自身の立場は、最近いつもくり返して書いているとおりです。