教養主義

親戚の集まりなんかにいくと、訳の分からん大阪のおっちゃんとかがおるもんで、いっつも余計なことを聞いてきたりする。いつまで勉強すんの?、そんで将来どないなんの?、みたいな。もちろん、そんなんにまともに答えられるわけあれへんから、自分はいつもお茶を濁すんやけど、おっちゃんにしてみれば、なんでお茶を濁されるのか納得できへんから、ますます始末の悪い質問を続けてきて、たいへん迷惑なことになったりするわけ。勉強しておもろいん?、とか。おもろいです、ゆうたら、怪訝な顔を返されるし。おまえはいったいどう答えてほしいんや、いっぺんゆうてみ、と、こちらは心の中で逆切れすることになる。
でもまあそれも無理のない話で、そもそも近代日本では、学歴とか教養とかは微妙な位置づけされとったわけで、タテマエ的な価値も大きかったんやな。
たとえば、大正期以来の教養主義は、大正教養主義マルクス主義→昭和教養主義、てな感じで展開していくんやけど、教養を身につけるということがどういう風に理解されていたかというと、もちろん高踏的な真理の探究という面もなかったわけやないけど、実際には、階層的な文化戦略という要素が色濃かった。だいたい教養主義というのは、「デカンショ」(デカルト・カント・ショウペンハウエル)の語に象徴される西洋志向やし、西洋文化となると、近代日本の再先端を意味したわけやから、これはまあいうなれば、「格好つけ」の要素が大きかったといえる。とくに帝大の文学部生なんかは農村出身者が多かったから、そういう意味でも、大衆からの離脱戦略として教養主義が受容されたわけ。もちろん、低階層出身者ちゅうのは、都市ブルジョワジーにたいする潜在的な対抗意識をもってるから、たとえば大正教養主義のあとに流行ったマルクス主義なんかは、反ブルジョワ意識とエリート意識とを両立させられる、便利なイデオロギーやったんやな。
ところが、「そうは問屋がおろさへん」ですわ。1960年代以降のことやけれども、教養主義にも斜陽のきざしが見えはじめる。なんでか。まず都市と農村という文化的差異が消失したため、教養主義を身につけることの戦略的意味が失われたから。みんなそれなりに豊かになってもたら、精神的な面で優位に立ったろ、っちゅう動機は無くなってしまうからな。
あとは、大学が大衆化したのも、やっぱり大きな要因やと思われる。ベビーブーム世代は、自分はエリートやと思って、大学入ってきたのに、マスプロ教育やし、こら一体どういうことやねん、と怒り心頭に発して、逆説的やけど、教養主義なんてくそくらえ、大学の権威なんて無くなってまえ、と破壊的なことを言いはじめた。もちろん、こういう考えには、マルクス主義の影響が想定できるが、もっと深層の意識レベルでいうと、「知識を身につけること」の「目的(動機レベル)」および「手段(環境レベル)」に、深刻な危機が生じたとも考えられる。
それから、教養主義とはことなるかたちでの知識の重要性が増したこと、が最後の要因。高度成長で、知識集約的産業がどんどん意義も持つようになって、サラリーマン社会ではテクノクラートが必要とされるようになった。けど、そのことが、高踏的な教養主義の無駄さ加減を白日のもとにさらすことになったわけ。自己の深淵、真理の高みを追究したところで、それでオマンマ食えますか、ちゅうやっちゃな。
せやから、我が親戚のおっちゃんが、自分のことを了解不可能な生き物のように見るのは、仕方のないことやったというわけや。「学生さん」の語が、なんらかのプレステージと結びついてた時代なんぞ、とっくの昔に終わってる。大正教養主義の場合かて、日露戦争後の立身出世型社会システムが成熟し、自己の内面を肥大させた学生がピーピーほざいてただけやろ、ともいえるしな。「ぼくは人生上の真理について、いつか明らかにしたいと思ってるんです」なんて言ったら、おっさん腰ぬかすやろけど、そら「あてもないのに刻苦勉励」なんて、傍からみてこれほど道理にあわんことあらへんで。「勉強すること」「知識を得ること」なんて、そのおっさんにはその意義が理解できへんからな。しゃあない。(この文章の参考文献は、竹内『教養主義の没落』です。)