『福沢諭吉の真実』

平山洋福沢諭吉の真実』(文春新書)を読む。これは大変立派な仕事である。福澤をどう評価すべきなのかについて、自分はずっと疑問だった。「市民的自由主義者」と評価するのか、それとも「侵略的絶対主義者」と評価すべきなのか。本書は、福澤は間違いなく「市民的自由主義者」であったと結論づける。それを論証するために、福澤評価を二分させる原因となった『福沢全集』の編集問題に踏み込み、精緻なテキストクリティークが展開されている。
「侵略的絶対主義者」としての福沢像を生み出しているのは、主に1892年以降に『時事新報』に掲載された論説群である。しかし本書によれば、これらの論説は福沢自身の手になるものではない。晩年の福沢が脳梗塞の後遺症で文筆活動が困難になるなか、『時事新報』で実権を握った石河幹明が中心となって、これらの侵略的言論は紡がれたのである。そればかりか、石河は『福沢諭吉伝』を著したうえで、これら無署名の記事を『福沢全集』に無理やりに収録した。福沢署名の記事にはアジアへの侵略的意図は感じられないのだが、石河個人の編集意図によって、福沢の認識は大きく歪められる結果になったのである。
なお本書によれば、「脱亜論」は福沢の真筆である可能性が高いという。とはいえ、「脱亜論」の論旨は、当時の朝鮮半島情勢から考えても、アジア蔑視や侵略的意図にもとづいたものとは言えない。むしろ、甲申政変時の独立党政権が清国軍によって瓦解させられたことへの非難、また朝鮮の近代化が途絶した挫折感の表明が、「脱亜論」からは読み取られるべきである。
またそもそも「脱亜論」が、福沢が「侵略的絶対主義者」であることの重要な証拠だと考えられるようになったのも、1961年のことにすぎない。遠山茂樹が1951年に発見し、竹内好がそれを周知のこととして語ったことをきっかけとして、「脱亜論」に依拠する福沢評価は市民権を得ることになったのである。戦後の福沢像は、丸山眞男らの評価(「市民的自由主義者」)と遠山らの評価(「侵略的絶対主義者」)との間で揺れ動くが、そうした論争は、そもそも全集のテクストクリティークが明確になされなかったからこそ生じることになったともいえる。本書では、双方が表立った批判が出来なかった理由についても解明されているが、いずれにせよ、福沢の評価はこれまで曖昧なままに放置されてきたのであり、本書は、それに非常にすっきりとした解決をあたえたと評価してよい。
今日は、長谷部恭男『憲法』という教科書をぱらぱら読んだのだが、これも非常にすっきりしていて、かつ重厚な面白味がある本だった。大宅壮一『昭和怪物伝』も読んだが、森繁久弥と「生長の家」の谷口雅春平凡社社長の下中弥三郎の話が面白かった。とはいえ、大宅は文章がうまいが、話があまりに良く出来すぎていて、作り物めいた印象が拭えない。大阪人だからだろうか。

福沢諭吉の真実 (文春新書)

福沢諭吉の真実 (文春新書)