千葉真一のセリフ

リリー・フランキー『日本のみなさんさようなら』(文春文庫PLUS)を読んでいたら、『仁義なき戦い・広島死闘編』(深作欣ニ監督、1973年)のコラムがあり、そこには千葉真一のこのセリフが引かれていたのだった。

何がジャーナリズムじゃ!!芸術じゃ言うて、親分さん、アンタは何しとるんな。アンタ、オメコの汁で飯食うとるんやないの!?編集者じゃ絵描きじゃ言うて、所詮はウマイもん食うて、マブい女抱く為に生まれてきとるんじゃないのん!?

たしかにこんなことを言っていたなぁ。圧倒的(に下品)なセリフです。なお『仁義なき戦い』は明らかに最初の作品の方が優れている。『広島死闘編』は千葉真一の怪演が印象深かったが、北大路欣也とのバランスがあまり取れていなかった。それから二作目はカメラを揺らしすぎだ。一作目のレベルですでに限界である。
正岡容(まさおかいるる)『東京恋慕帖』(ちくま学芸文庫)を読む。寄席芸能研究家、小説家、随筆家。弟子だった桂米朝大西信行小沢昭一の対談が掲載されているが、当時の文壇では相当嫌われており、評価もそれほど高くなかったらしい。かなり変わり者だったらしい。少しだけ引用。

 どうして講談また落語の世界に、私が一生涯をさゝげつくして悔いないかと云へば、嘗て伊藤痴遊も云つてゐたやうに、講談と落語とはこの日本国以外にはない話術の極至であるからだ。たゞ単に扇一本舌三寸で老若の悲喜を浮彫りにし、花の日の、月の夜の、雪のあしたの情景をありありと目前に蘇らせて呉れる芸術は、絶対に他国にはない。この点、歌舞伎や、浮世絵と全く同じく従つてもつともつと全世界から注目されていい日本独自の、芸術であるわけなのだが、惜しい哉、前二者のごとく「目」から「目」へ訴へる芸でなく、先づ耳へ次いで目へかよはせる芸であるため、ハツキリ何割かの損をしてゐるのだと云へよう。(230−231)

JAZZ喫茶。here's LEE MORGANmilt jackson quartet“statements”、Lee Konitz 〇、fleurine“meant to be”、The Stan Getz quartet“The Dolphin”◎、LESTER YOUNG“The Cansas city sessions”◎。
最近、鶴見俊輔アメリカ哲学』を読んでいるのだが、非常に面白い。今日は、アメリカ人の精神的アドバンテージがどのあたりに求められるのか、啓示のごとく、閃きを得た。これは凄い。後日、開陳するやもしれぬ。