誰の文章か分かるよね?

メモね。

 教育。
 イ、教育とは元来、人生と社会の全過程において行われている機能であり、活動である。社会における教育とは必ずしも、家庭教育、教会教育、職場教育、党・組合学校教育というような教育を目的とし、意図した活動ではない。むしろ思われざる結果としての教育の方がはるかに重要な意味をもつ。
 〔無自覚な修得過程〕たとえば議会における審議、反対討論が国民の政治教育にたいしてもつ役割は、学校における社会科での政治教育よりずっと大きいだろう。(良い意味でも悪い意味でもそうだ。)その意味で社会過程はすべて教育過程である。「教育学」のつまらなさは、この基本命題を看過して、意識的な教育だけが教育であるかのように錯覚しがちなところからおこる。マジメ人間、教育熱心な人間は教育学にはむかない。
 ロ、制度としての意図的教育は、いわゆる被教育者の「気持」や「心理」を心理的〔(補)に〕理解しないではできない。しかし、理解することは、正当化することではない。相手にベッタリ追随することは「教育」の責任の放棄である。「理解」の不足は教育者としての「能力」の不足であるが、教育者の人間としての問題ではない。(213)

えらく逆説的な文章で理解しがたいところもあるが、教育というのは、被教育者の自発的な意欲なしにはなされないということ、その意味で、教育学における意図的教育の想定には最初から問題があること、といった論点はさすがに本質を突いている。ロは、どう理解すべきなのだろうか。