佐藤優『国家の罠』

佐藤優国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』を読んでいる。2002年に背任容疑などで逮捕された、外務官僚の手記である。外務大臣だった田中真紀子鈴木宗男の抗争は記憶に新しいが、その際、田中真紀子から著者は「ラスプーチン」と呼ばれ、「伏魔伝」たる外務省の象徴的イメージとされた。しかしこの本を読むと、そうしたイメージは外務省の情報操作や検察側のリークによって恣意的に生み出されたもので、真実はまったく異なっていることがわかる。
あの時期に外務省で生じていたことは、外務省内の派閥抗争、田中真紀子の権力追求、国際政治上(おもにロシア外交)の駈け引き、の三者が複雑に絡まりあったものだった。佐藤は外務省における「派閥」を次のように整理する。 

 外務省には、東大閥、京大閥、慶應閥といったいわゆる学閥は存在しない。代わりに、外務省用語では「スクール」と呼ばれる、研修語学別の派閥が存在する。それらは、「アメリカスクール(英米派)」、「チャイナスクール(中国派)」、「ジャーマンスクール(ドイツ派)」、「ロシアスクール(ロシア派)」などに大別される。
 さらに、外務省に入ってからの業務により、法律畑を歩むことの多かった人々は「条約局マフィア」、会計部門の専門家は「会計マフィア」というような派閥が存在する。また、近年は主要国首脳会議(サミット)のロジ(宿舎、通信、車回しなどの裏方作業)を担当する「サミットマフィア」というグループも頭角を現してきていた。(58−59)

佐藤はロシアスクールに属していたわけだが、その当時、ロシアスクール内では目に見えない問題が生じていたという。というのも森政権下において、ロシア外交の機密情報がリークされるなどしたため、スクール内でも信頼関係が成立しなくなり、能力のある官僚と政治家が直接結びつくかたちで政策遂行がなされていたからである。つまり鈴木宗男であり、丹波實、東郷和彦、佐藤がそうした面々であったわけだが、外務省内ではそのような事態についての不満が蓄積していたのである。もちろん外交というのは機密事項が守秘されないと成果が見込まれないので、短期的にはそうした状態もやむえなかった面があったのだろうが、田中真紀子が外相に就任すると、田中と鈴木の二者関係をさまざまに利用した政治闘争が開始されることになった。
その背後には言うまでもなく、先述した外務省の派閥対立が複雑に関わっていた。佐藤によれば、外務省内には三つの潮流、すなわち「(狭義の)親米主義」、「(中国との関係を重視する)アジア主義」、「(日、米、中、露のパワーゲームとして日露の関係を重視する)地政学論」があるという。しかし、小泉政権成立以前には重視されていた「地政学論」は、田中真紀子の登場によって先行きが不透明化になりつつあった。そして、「アジア主義」は当初は田中を支持することになり、またロシアスクール内の感情的対立によって「地政学論」も一枚岩ではない状況が表面化したため、外務省の組織バランスは一気に崩壊していくことになった。
佐藤は事件の全体をこう整理する。

 外務省の場合、田中真紀子の外相の登場により、組織が弱体化したことで、それがこれまで潜在していた省内対立を顕在化させることになり、機能不全を起した組織全体が危機的な状況へと陥った。その際、外務省は、そもそも危機の元凶となった田中真紀子女史を放逐するために鈴木宗男氏の政治的影響力を最大限に活用した。そして、田中女史が放逐された後は、「用済み」となった鈴木氏を整理した。この過程で鈴木宗男氏と親しかった私も整理された――。
 こう見ていくと、実にわかりやすい構図だと言えよう。(60)

なお、この事件において一番謎というか、低レベルなのは、田中真紀子鈴木宗男佐藤優に対する憎悪の念である。田中は橋本派への嫌悪感という理由だけから鈴木宗男を敵視し、また9・11以降の外交戦略(アメリカのアフガン侵攻を見越したタジキスタンへの外交戦略によって、北方領土問題をロシアとの交渉テーブルに載せようとする鈴木宗男の政治活動)に自分がそれほど関与できなかったことに苛立って、鈴木宗男一派の一掃を狙った。亡国の所業とは、このようなことをいう。
つぎに醜悪なのは、田中外相の無能ぶりにあきれ果てた外務官僚による、政治抗争のやり方であろう。本書で暴露されているとおり、外務官僚は鈴木宗男に田中の奇行についての怪文書を幾度も回し、マスコミへのリークを企てた。そういう組織の機能不全を象徴する出来事が、国益を優先しない一部の外務官僚によって行なわれていたわけである。とはいえ、いったん混乱が生じると、それを収束させる方法というのは、なかなか見出せないものなのかもしれない。

 外交政策上の観点からは、前述したようにアーミテージ国務副長官との階段をドタキャンし、その後、アメリカのミサイル防衛政策に批判的発言をする田中女史に外務省内「親米主義者」は危惧を強めた。一方、「アジア主義者」は、中国への思い入れの強い田中女史を最大限に活用しようとした。「地政学論者」は、田中女史がいる限り、戦略的外交はできないと、半ば諦めの気持ちでやる気をなくしていた。
 こうした状況のなかで、これまでの鈴木宗男氏との距離関係、外務省内部の人脈が複雑に絡み合い、混乱状態に陥った外務省内では誰が敵で誰が味方か全くわからなくなっていた。
 たとえば、中国専門のある中堅幹部の例をとってみよう。
 「チャイナスクール」の一員としては、田中女史が外務大臣にとどまることは好都合である。但し、中国は政府開発援助(ODA)の主要対象国であるのに、田中女史のODAに対する理解は薄い。鈴木氏は中国とも良好な人脈をもつ。外務省はODA予算で以前から鈴木氏の応援を受けてきた。鈴木氏の専門知識に裏打ちされた政治力の重要性もよくわかっている。(89)

しかし、このような不透明性に直面しつつも、その都度、最善の合理的解を導いていくことが、外交に携わる者の姿勢なのであろう。その意味で、佐藤優の判断力、決断力というのは、読んでいてなかなか凄みを感じる。結局のところ、情勢が不透明なときほど、「国益」が最優先の行動指針とされなくてはならないのである。逆にいえば、そのような外交政策能力が欠如している官僚たちによって、消耗的な省内対立抗争は繰り広げられたということである。
情報収集能力および政策決断能力の点からいって、外務省からの佐藤優の放逐は、国家的損失というしかない出来事だったように思われる。それから、鈴木宗男の株が一気に急上昇した。

国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて

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