佐藤優『国家の罠』PART2

読了。非常に読みごたえがあった。機微に関わる話ばかりなので丁寧に読まなければいけないが、それだけの価値は十分にある。昨日は外務省の話を中心に書いたので、今日は「国策捜査」について書くことにする。
逮捕三日後、佐藤氏と彼の取調べ担当であった西村検事は、次のような会話を交わしている。

「あなたは頭のいい人だ。必要なことだけを述べている。嘘はつかないというやり方だ。今の段階はそれでもいいでしょう。しかし、こっちは組織なんだよ。あなたは組織相手に勝てると思っているんじゃないだろうか」
「勝てるとなんか思ってないよ。どうせ結論は決まっているんだ」
「そこまでわかっているんじゃないか。君は。だってこれは『国策捜査』なんだから」(218

取り調べが長期にわたるにつれて、西村検事と佐藤氏の間には奇妙な親密さが芽生えるようになる。その段階で、西村検事は「国策捜査は『時代のけじめ』をつけるために必要」との「思想」を明らかにする。

「これは国策捜査なんだから。あなたが捕まった理由は簡単。あなたと鈴木宗男をつなげる事件を作るため。国策捜査は『時代のけじめ』をつけるために必要なんです。時代を転換するために、何か象徴的な事件を作り出して、それを断罪するのです」
「見事僕はそれに当たってしまったわけだ」
「そういうこと。運が悪かったとしかいえない」
「しかし、僕が悪運を引き寄せた面もある。今まで、普通に行なわれてきた、否、それよりも評価、奨励されてきた価値が、ある時点から逆転するわけか」
「そういうこと。評価の基準が変わるんだ。何かハードルが下がってくるんだ」(287)

このような率直な会話が交わされていること自体が不思議なことであるが、それはともかく、私は無知なことに、このような現実が存在することを今まで知らずにいた。西村検事によると、検察による国策捜査の方針は次のようなものであるという。

「…国策捜査は冤罪じゃない。これというターゲットを見つけ出して、徹底的に揺さぶって、引っかけていくんだ。引っかけていくということは、ないところから作り上げることではない。何か隙があるんだ。そこに僕たちは釣り針をうまく引っかけて、引きずりあげていくんだ」
「…」
「…だいたい国策捜査の対象になる人は、その道の第一人者なんだ。ちょっとした運命の歯車が違ったんで塀の中に落ちただけで、歯車がきちんと噛み合っていれば、社会的成功者として賞賛されていたんだ。そういう人たちは、世間一般の基準からするとどこかで無理をしている。だから揺さぶれば必ず何かでてくる。そこに引っかけていくのが僕たちの仕事なんだ。だから捕まえれば、必ず事件を仕上げる自信はある」(290)

それでは「時代を転換するため」に、この事件が「象徴的な事件」として作り出されたのはなぜだったのか。佐藤氏の見立てによれば、「現在の日本では、内政におけるケインズ型公平配分路線からハイエク型傾斜配分路線への転換、外交における地政学的国際協調主義から排外主義的ナショナリズムへの転換という二つの線で「時代のけじめ」をつける必要があり、その線が交錯するところに鈴木宗男氏がいる」ということになる(292−293)。
まずは内政的要因についてから。

 鈴木宗男氏は、ひとことで言えば、「政治権力をカネに替える腐敗政治家」として断罪された。
 これは、ケインズ型の公平配分の論理からハイエク型の傾斜配分の論理への転換を実現する上で極めて好都合な「物語」なのである。鈴木氏の機能は、構造的に経済的に弱い地域の声を汲み上げ、それを政治に反映させ、公平配分を担保することだった。
 ポピュリズムを権力基盤とする小泉政権としても、「地方を大切にすると経済が弱体化する」とか「公平配分をやめて金持ちを優遇する傾斜配分に転換するのが国益だ」とは公言できない。しかし、鈴木宗男型の「腐敗・汚職政治と断絶する」というスローガンならば国民全体の拍手喝采を受け、腐敗・汚職を根絶した結果として、ハイエク新自由主義、露骨な形での傾斜配分への路線転換ができる。結果からみると鈴木疑惑はそのような機能を果したといえよう。(294)

この読みは深いと思った。じつは社会調査などからすると、国民の大部分は福祉重視の政策を選好していることがわかるのだが、そうした現実を動かすのは「具体的な事実」でしかないのである。次に外政的要因について。

国際協調を考慮し、時には自国中心のナショナリズムを抑えることが日本の国益を増進することもある。真に国を愛する政治家、外交官はこのことをよくわかっている。橋本龍太郎小渕恵三森喜朗の三総理、鈴木宗男氏は排外主義的ナショナリズムが日本の国益を毀損することをよく理解していた。それだからこれらの政治家は、…「地政学論」を採用し、推進したのである。
 北方領土問題について、鈴木宗男氏、東郷和彦氏と私は、「四島一括返還」の国是に反する「二島返還」、あるいは「二島先行返還」という「私的外交」を展開したと非難されたが、これは完全な事実誤認に基づくものだ。…
 しかし、事実誤認に基づく非難がこれほどまでに国民世論を掻き立てたことについては冷静に分析する必要がある。北方領土問題について妥協的姿勢を示したとして、鈴木氏や私が糾弾された背景には、日本のナショナリズムの昂揚がある。換言するならば、国際協調的愛国主義から排外主義的ナショナリズムへの外交路線への転換がこの背景にある。(296−297) 

こちらの方はすんなりと腑に落ちるものではないが、佐藤氏はこうした排外主義的ナショナリズムは「日朝国交正常化交渉にも大きな陰を落とすことにな」ったと述べ、そうした風潮は「国益に合致しない」との見解を示している。
だが、そもそもこの事件には「国策捜査」とされるだけの妥当な理由が、本当にあったのだろうか?最後にこの問題が残っているだろう。佐藤氏は被告人最終陳述で以下のように述べている。

第四点目に、今回の国策捜査が日本外交にどのような実害をもたらしかということです。
 検察官は、論告で、『国民の外交行政、対ロシア外交に不信の思いを抱かせた』、『日本の対外的信義・信用が著しく損なわれた』と私を糾弾しましたが、私はそのことばをそっくりそのまま検察官にお返しします。私の理解では、正当に業務を遂行する特殊情報を担当する外交官を国策捜査で逮捕したことにより、『日本の対外的信義・信用が著しく損なわれた』のです。
 …
 ときの内閣総理大臣、外務省幹部の命に従い、組織の明示的な決済を受け、その時点では官邸、外務省が評価した業務が二年後には犯罪として摘発されるような状況が赦されるならば、誰も少しでもリスクがあると思われる仕事はしません。また、上司の命令に従っても、組織も当時の上司も下僚を守らず、組織防衛のために下僚に対する攻撃に加担する、あるいは当時の上司は外国に逃亡してしまうという外務省文化が私の事件を巡って露呈したことには大きな意味があると思います。
 このような状況では、誰もが国際政治のプロとして『こうしたらよい』と感じたとしても、それを口に出すことがなくなります。そして組織に不作為体質が蔓延します。不作為による国益の損失は見えにくいのです。そしてこの様な状況が数年続くと、日本外交の基礎体力が著しく低下します。(389)

検察による「国策捜査」も、外交における「作為」の積み重ねも、いずれも法規ギリギリの要素をともなうことにおいて共通している。この事件は、おそらく政府や政治家たちの思惑によって作り出されたものであろうが、いわばそこでは「結果責任のぶつかり合い」が生じているのである。だが、少なくともこの事件に関していえば、佐藤氏の言い分が圧倒的に優位に見える。これには検察が「内向き」の組織であることも関係しているのだろう。
長くなったが、きわめて示唆的な価値ある本だと思った。小泉政権の性格についても、あらためて考えさせられた。

国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて

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