アメリカにおける保守主義の諸類型

古矢旬『アメリカ 過去と現在の間』を読む。実は最近アメリカに興味があるのだ(ようやく?)。かったるい部分もあるが、第四章「保守主義」が面白かった。
著者によると、アメリカにおいては純然たる保守主義は見出せないか、あるいはきわめて見出しにくいという。保守主義という概念定義の難しさもあるが、マンハイムの述べるような「保守主義」を可能にするだけの歴史的条件が、そもそも欠けているからである。
マンハイム保守主義を近代過渡期の思想として規定したことは以前の日記でも述べたとおりだが、「ほとんど純粋に反射的な行為」としての「伝統主義」ではなく、社会変動期にあって「反省的」かつ「意味志向的行為」とされる「保守主義」は、次のような歴史的条件において登場することになる。

それは第一に、自己完結し、自律した身分や、封建的諸集団の壁が破られ、国家社会全体を一体化し、統一へと方向づけるダイナミックな近代的動きが生まれることである。第二、そのダイナミズムのうちから社会を水平に横断する諸階層が分化し、そしてそれらの階層のうちあるものは「進歩」を、別のものは「現状維持」を、あるいは「復古」をそれぞれ意識的に志向しつつ対立するという社会過程が発生することである。第三に、それらの意識が、求心的な近代的社会統合の是非をめぐって政治への志向を強め、全体的な社会イデオロギーとして分化してゆくことである。(136)

しかし、このような保守主義(「保守主義Ⅰ」)は、アメリカ社会においては不毛な政治思想でしかなかった。なぜならば、アメリカ社会では封建制秩序からの移行期そのものが存在せず、ヨーロッパ社会におけるような歴史的制約から免れていたからである。もちろん、「社会秩序の有機的連関や先例や伝統の尊重や権威と忠誠といった要因」への規範的要求は見られないわけではなかったが、それとて過去の歴史のなかから見出されるようなものではなく、その都度「意識的に探し出し、新たに形成し、…新たにつくり直」されなければならないものだった(138)。著者は、「つまるところアメリカにおいて、保守主義はつねに「保守主義」でしかありえなかったといって過言ではない」と述べている(138)。
それは、建国初期のアメリカにおけるフェデラリスツ(反フランス親イギリス、ハミルトンの海洋国家論)とリパブリカン(親フランス、ジェファソンの大陸国家構想)との対立においても同様だった。この両者はたしかに対立していたわけだが、実際には「ヨーロッパの過去と断絶することによって実現をみた、アメリカの自由主義的な政治体制を維持していくという目的」において完全に一致しており、せいぜい手段面においての対立であったにすぎなかった(142)。ルイス・ハーツが指摘するように、アメリカは当初から自由主義社会であり、漸進的リベラリズムによって社会発展を進めていくことになったのである。
そのアメリカにおいて、はじめて保守主義Ⅱと見ることのできる思想があらわれたのは、南北戦争後の産業主義的階級社会においてであった。1890年代までに、アメリカの富の7割以上は全人口の9%の手に集中したということだが、そうした社会を正当化するための思想が必要になっていたのである(148)。保守主義Ⅱは、1859年のダーウィン種の起源』やその後スペンサーらによって普及させられた社会ダーウィン主義を中核的理念としつつ、社会的勝者のための現状擁護論を展開した。
もちろん保守主義Ⅱに対しては、社会経済的弱者たる「持たざるもの」を擁護するリベラル思想からの対抗があった。この思想的陣営は「革新主義史学派」と呼ばれていたそうだが、彼らは「ハミルトン対ジェファソン」を「持てるもの」と「持たざるもの」との対立として読みかえ、アメリカの思想史的対立の見取り図を作った。その後、「ニューディール体制の確立を経て、第二次大戦後の専門官僚制による社会経済統制がコンセンサスを得ていく」にしたがって、リベラルの思想的影響力は強まることになった(154)。
著者によると、保守主義Ⅱが逼塞していった1930年代には、新たな水準において保守主義Ⅲが萌芽したと考えられるという。というのも、保守主義Ⅱは完全に国内的な対立状況の反映であったが、第二次世界大戦後の冷戦体制のなかでは、全体主義的政治信条に抗うために、「自由」や「民主主義」といったアメリカの伝統的価値が、ほとんど国是として注目されるにいたっていたからである。
保守主義Ⅲは、マッカーシイズムを経て「新右翼」運動などへと受け継がれ、国際共産主義にたいする軍事的対決姿勢を鮮明にするとともに、国内的にはニューディールリベラリズムにたいして強烈な敵意をあらわにする。「右翼は、このリベラリズムを実体化したアメリカ型福祉国家を、あるいは『アメリカ的自由』の抑圧体制、あるいは『集産主義的全体主義』への第一歩、あるいは『しのびよる社会主義』として弾劾し続けてきた」という(161)。政治的には1970年代末からのレーガン保守によってこの思想は反映されることになり、彼らは「大文字のリベラリズム(Liberalism)」というスローガンを打ち出し、ニューディールリベラリズムの崩壊をはかった。結果からふりかえれば、アファーマティブ・アクション実施への社会的不満、ベトナム戦争の失敗などによって、1960年代まで磐石だったニューディール体制は瓦解することになる。
そして、1960年代後半から1970年代にかけてのアメリカ社会の混乱は、現在のネオコンにつながる「新保守主義」(保守主義Ⅳ)の特徴を生み出すにいたった。当初、「新保守主義」は社会変化に触発された知識人運動としてはじまったが、この動きはレーガン政権下で政治化を加速させる。

一部の歴史家たちが「ネオコン第一世代」と呼ぶ一九七〇年代の新保守主義者たちを、共通にとらえていたのは、アメリカ社会の共同性を支える道徳的基盤が崩壊しつつあるという思想的恐怖感であったといってよい。しばしば指摘されるように彼らの多くは、青年時代にはより公平な正義にかなったアメリカ社会を求めて、社会主義共産主義運動の流れに身を投じた経験を有した。彼らが、その流れから離脱し、逆に非妥協的な反共主義へと「転向」してゆくきっかけとなった最大の原因が、第二次世界大戦後に伝えられたスターリン体制の非道義的、非人間的全体主義にあったこともよく知られている。その経験から彼らは、社会の共同性は、人為的に構想された改革のプログラムを機械的に社会に適用することによってはけっして生まれないという認識に到達したとされる。(166)

この当時のアメリカの福祉国家批判を読むと、それが彼らの主張する価値前提とどう関連するのかよく呑み込めないことがあったが、こうした歴史的文脈をふまえれば理解がたやすいだろう。新保守主義者のロジックは、福祉国家が「個人の衝動や欲望のままに文化的リベラリズムに堕する」ことを憂い、かわりに「伝統・権威・忠誠・敬譲などといった文化的規範の復興」と「有機的社会秩序の回復」をめざすのである(167)。
とはいえ、このような社会的道徳の源泉は、歴史には求められないことはすでに述べたとおりである。したがって、彼らが見出すものは「宗教」だということになる。論者のなかには、社会の絆としての宗教が退潮することになった近代そのものをきびしく批判する者もいる。その意味で、「新保守主義」の知的源泉のひとつには反近代主義があるといってよい。この反近代主義は、アメリカの初発の時点における宗教性につよく誘惑されるのである。
で、そろそろ終りにするが、この保守主義Ⅳ(新保守主義)はその後、知的側面をどんどん削ぎ落とし、逆にそうすることによって有力な政治勢力となっていった。具体的には、外交面での積極姿勢を打ち出し、ヴェトナム戦争の神聖視などを試みたりもした。著者によると、このような新保守主義はあまりにも政治化しすぎた結果、マンハイム保守主義が本来もっているはずの、近代を相対化するための思想的意義を失ってしまっているという。まったくそのとおりだとは思うが、しかしながら、その出自におけるアメリカ社会の伝統的要素は一部であれ継承されていることは疑えないわけで、そこら辺がネオコンのいやらしさだなぁと思う。
保守主義」というキーワードで、アメリカ社会について勉強してみました。

アメリカ 過去と現在の間 (岩波新書)

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