森茉莉による高峰秀子

特別なことをしたわけではないのに、今日はなんだか疲れた。なんだか疲れたので、成瀬映画でも観たいな、という気分になり、高峰秀子のことを思い出した。森茉莉の『ドッキリ・チャンネル』より。

 高峰秀子といえば今度の女房役は清く正しく美しくの母親役とくれば嵌り役だ。彼女はそういう役でいい監督についてやればやれるのだ。だがどこかの新聞のカコミで又もや偉そうに喋っている。(私は八月十五日に知っている限りの軍歌を歌うんですよね。……あの頃はほんとうに苦しかったですよ、いろいろな意味でね。そういうこと自分で思い出さなきゃいけないと思うし、今あまりにも贅沢すぎると思いますし、いろんな意味で自分に対して歌うようにしています)というのである。ところが私が六本木の古物商に行くとそこの番頭がルイ十六世時代の花瓶を指さして、これと同じようなのを高峰秀子さんにお買い上げいただきました、と言ったのである。高峰さん、この頃はほんとうに贅沢すぎますね。私なぞは赤貧時代にも収入のはんぱ何百円かで平目の刺身、牛肉のスープなぞをたべ、ブリア・サラヴァンには及ばなくても出来るだけの贅沢をしたものだ。贅沢が何故悪い?苦しかったことを思い出したくないのはいけないことですか?……全くムカムカする女である。十六で東宝に引抜かれた時(あたいは悪い女の役がやりたい)と発言した彼女を私は愛して、鼻の下が短くて笑うと横に筋が出ている彼女の写真を切抜いたこともあったが、いつのまにかPTA夫人になってしまった。……(1979)(10−11)

しかし、『浮雲』の高峰秀子は、ほんとうに素晴らしかった。また見たい!