竹内好に関するエピソード

国民文化会議編『転換期の焦点6 同時代人丸山眞男を語る』(世織書房、1998年)。加藤周一日高六郎の講演内容などが収められているのだが、加藤と日高の対談の中で、興味深いエピソードが紹介されていた。日高は、丸山眞男竹内好との関係について、「たしかに、お二人の発想にはちがうところがあったと思う。しかし二人はたがいに心底尊敬しあっていました。家も近かったし、無二の親友だった。丸山さんの文章のなかに竹内好批判はなかったと思うし、その逆もなかったと思います」(96)と述べ、さらに以下のような話を続けている。

 一九五〇年代後半ですが、竹内さんは日教組の全国教研の講師になったことがある。そのはじめて参加された集会のあと、竹内さんは「戦後はじめて味わった興奮だ」といわれて、大いに感激しておられた。
 ところが、一九五九年の大会であったと思いますが、桑原武夫さんが記念講演をしたことがありました。そのなかで桑原さんは当時話題になっていた石川達三氏の「人間の壁」を引用された。日教組の運動に全力的に参加し、また子どものことを真剣に考えている教師と、子どもには受けもよく、授業もおもしろくこなしながら、組合運動には熱心でない、いわば立身出世型の教師を紹介して、この後者の先生も仲間に入れるべきだと提案されました。
 ところが最終日、参加者代表が感想を述べるということがあって、山形出身のS先生――この人は、石川氏の書いた二人の人間像の前者そっくりのすぐれた先生でしたが――が痛烈に桑原演説批判をしました。
 竹内さんはこの批判にカンカンに怒った。桑原さんはお願いして講演をしていただいた客人である。その客人がなにを話すか、それは御本人の自由である。しかしS氏はこの集会の参加者、主催者の一人である。その立場にいて、最終日、桑原さんが答えることも不可能な状況のなかで、一方的にイデオロギー批判をした。このことは教研集会の原理に反する、日教組は桑原氏に謝罪すべきだという。強い要求を、個人で日教組に申し入れた。
 しかし日教組は竹内さんの要求をいれなかった。竹内さんは講師をやめます。そういう事件がありました。
 桑原さんは、俗にいえば「近代主義者」。竹内さんは「反近代主義者」。その竹内さんが桑原さんを擁護する。この関係はおもしろい。私はそういう竹内さんを敬愛しますね。(97−99)

批判に対して開かれている、というのは大原則であって、別段「おもしろい」ことでもないのだが、しかしそれを貫きとおすということは簡単なことではないし、たしかに「敬愛」には値するのだろう。だが、それはともかく、上記のエピソードはいろいろなことを考えさせてくれるので、私にとっては大変重要なエピソードである。