『ゲーテとの対話』(1836)

エッカーマンという真面目な文学徒が、ゲーテに気に入られ、その言行録を書きとめた著作。上巻だけ読んだけれど、ものすごく面白く、すいすい読める。以前、中学生用の受験問題集のテキストで、中野孝次がこれについて論じていたのを見たが、おそらく日本の教養主義においても重要な役割を果たした書物であると考えられる。というのもゲーテはこの本のなかで、ものすごくプラグマティックな、役に立つ学習法・教訓を散りばめており、それは実践的であることと非実践的であることとの間で引き裂かれていた教養主義者にとって、きわめて魅力的に映った違いないからだ。たとえば、次のような言葉。

 全体のどこかうまくいかないところがあると、個々の部分はどんなによくても、全体としては不完全なものになり、君は完ぺきな仕事をしたことにならない。しかし、ただ君の手にあうような個々の部分だけをそれぞれ独立して表現するなら、それはきっとよいものができる。
 特に私がいましめたいのは、自分勝手に大きなものをでっちあげることだね。そういう場合、人は物事について自分の説をもちだそうとする。ところが、若いうちはなかなか考えが熟さないものだからね。(61)

というように実践的アドバイスなのだけれど、その背後には、ゲーテの次のようなポリシーがある。

……私(エッカーマン)は、これまでの観念的理論的な方向から叙々に脱して、次第に瞬間的な状態の価値を尊重するようになっている……
 「そうこなければ嘘だよ」とゲーテはいった、「その方向をだいじに守って、常に現在というものに密着していることだ。どんな状態にも、どの瞬間にも、無限の価値があるものだ。なぜなら、それは一つのまったき永遠の姿、その代表なのだからね」(82)

部分に全体が宿っている、という思考は、ドイツっぽいなと思うけれど、そういや「歴史的唯物論」のベンヤミンは、『親和力』を分析していたなぁ、などと思い出したりして。同じ立場から、ゲーテはシラーについて、こう批評している。

 ゲーテはいった、「あれほどのすぐれた人が、その実なんの役にも立たない哲学的な思考方法に骨身をけずったことを思うと、悲しくなるよ。フンボルトが、あの不幸な思索の時期のシラーから受けとった手紙を、私のところに持ってきてくれたが、それを読むと、当時彼が、感傷の文学を素朴の文学から完全に解放しようと意図して、そのためにいかに苦しんでいたかがわかる。ところが、彼はこの感傷の文学というものの根拠をついに見出すことができないで、何とも言いようのない混乱におちいってしまった……」(90)

まあでもね、ここはひとつ、自分も教養主義者の一人であることを潔く認めて、次の言葉をじっくり噛みしめましょうや。

 私は、いつも、みんなからことのほか幸運に恵まれた人間だと賞めそやされてきた。私だって愚痴などこぼしたくないし、自分の人生行路にけちをつけるつもりはさらさらない。しかし、実際はそれは苦労と仕事以外のなにものでもなかったのだよ。七十五年の生涯で、一月でもほんとうに愉快な気持で過ごした時などなかったと、いっていい。たえず石を、繰り返し押し上げようとしながら、永遠に石を転がしていたようなものだった……(104)

かの文豪ゲーテですら、こう言っておいでじゃ。いわんや、凡夫にすぎぬわれわれなどは…とまあ時代劇ごっこは置いといて、しかしゲーテの骨太の生き方と、それと直結した詩作の数々が、時代の追い風を得ていたことは間違いない。ゲーテもそれは認めている。

 「私は、自分が十八歳でないことがうれしいよ。」とゲーテは、さらに微笑みながらいった、「私が十八歳のころは、ドイツの国もやっと十八歳になったばかりだったから、まだ何事かがやれたんだ。ところが、今では、信じられないほど沢山のことが要求され、しかもどの方面を見ても道はふさがれてしまっている……(105)

はいはい、「精神なき専門人」って、もはや「専門人」ですらない私たちですからね。もうひとつ、駄目押し。

「私は、たいへん得をした」と、彼はつづけた、「つまり、最大の世界史的事件が、まるで日程にのぼったかのように起り、それが長い生涯を通じて起りつづける時代に生まれあわせたからだ。おかげで、七年戦争をはじめとして、アメリカのイギリスからの独立も、さらにはフランス革命も、最後にはナポレオンの時代の全部、この英雄の没落とそれにつづく諸事件にいたるまで、一切を私は、この眼でみた生き証人なのだからね。このため、私は、現在生まれてくる人たちが持つかもしれないものとは全くちがった結論や判断に到達したのだ。彼らは、例の大事件を、書物を通じて学ぶほかはないし、それでは真実は理解できないのだ……(114)

私も、バブル時代にはすでに生きていたし、オウムのテロは起こったし、阪神大震災もあったし、9・11も経験したわけで、「たいへん得をした」のである。だから、「世の中というものは、謙虚になれるような代物ではない。お偉方は、権力の濫用をしないではおれないし、大衆は漸進的改良を期待しつつ、ほどほどの状態に満足することができない」というゲーテの「真実」は、十分に分かるよ。「……いちばん合理的なのは、つねに各人が、自分のもって生まれた仕事、習いおぼえた仕事にいそしみ、他人が自分のつとめを果たすのを妨害しないということだ……」(114−115)。たしかに、そうかもね。