きだみのる『道徳を否む者』(1955)

古本屋で300円で売られていたので、思わず購入。パラパラと読みはじめてみたら、思わず一気に読み終えてしまった。傑作だ。この表現力は新鮮である。
きだみのる山田吉彦、1895―1975)の本は、『気違い部落周遊紀行』『にっぽん部落』などを持っているが、本書は自伝的小説であり、かれの文化人類(社会)学者としての眼差しが、どのような精神体験に由来するものであるかがよくわかる内容となっている。少年から青年期の回想が中心なので、感傷的なところもたくさんあるのだが、写実的な距離感覚がそれを過度に表現することを防ぎ、そこに忘れがたい印象をもった記述が美しく結実されている。ちなみに四方田犬彦『月島物語』には、きだみのると月島との関係が、本書を引用するかたちで論じられている。まず、四方田の記述を引いておこう。

 きだみのるは本名を山田吉彦といい、一八九五年に奄美大島に、医師の長男として生まれている。没落した儒家の裔である。……
 自伝的小説『道徳を否む者』によれば、きだは父の任地である台湾で中学生活を開始したが、八ヶ月ほどで突然、東京は牛込の叔父宅に居候を決めこんでしまう。しばらくはお茶の水ニコライ堂近くの開成中学に真面目に通うのだが、家出をして函館の修道院に向かい、警察に保護されたり、二歳年下の女学生の従妹に恋心を抱いて幼なげな詩を書き送ったりで叔父の逆鱗に触れてしまう。文学の翻訳書を濫読してしいた少年は、多感あまって自殺を決意する。知りあいとなった歯科大生の部屋からコカインを一瓶盗み出し、夕暮時に芝浦からこっそりとボートで漕ぎ出す。目的は東京湾の真中で生命を絶つことである。……(45) 

その後、親戚からは出入り禁止を宣言され、きだは月島あたりの小工場で、自転車のバルブの螺子の面取りを三ヶ月間することになった。その後、アテネフランセ陳独秀もいたらしい)の先生であるフランス人(ジョゼフ・コット)に面倒を見てもらい、学校にも通って、パリ大学のモースのもとに学ぶまでの人生の道すじをつけた。本小説は、その先生の葬儀の場での、回想形式をとっている。
本文を紹介しておこう。まず印象的なのは、「私」のやたらに過敏な感受性である。「私」は、先生が病気になったと聞いても、あれこれと考え、見舞いにすら行けない。

 明くる日、私は心に咎めを感じながら、他所で酒を飲んで暮した。次の日の夜、私は明日は必ず見舞いに行こうと決心して床についた。しかしその日は日曜で空は稀なほど澄んでいた。私はある若い女の、友達からピクニックの誘いの速達を受けとつた。二つに分れて低迷していた私の心は救われたようにその誘いに応じた。私は彼女と共に外洋の見える海岸のホテルに行つた。水平線で区切られた海には小舟が浮び、かもめが長い翼を広げて岸近くを飛んでいた。水平線には黒い煙があつた。何処か外国へ行く汽船の残したものであろう。私にとつて海は何時もその神秘さのため、女を思い出させた。そして女たちの白い胸は屡々深い海を感じさせた。二つの締まつた乳のキュウリュウの間に額を埋めると、私は疲労も世間で受けた汚辱も悔いも、すべて女の胸の中に丁度捨てられた汚穢が海にのみ込まれ、沈むようにしてその姿を消してしまうのだ。そして私の苦悩は拭い消され私は女の胸の情熱の中で再生するよう感ずる。
 私は海の見えるその部屋で愛撫に時を過した。(21−22)

こうした過敏な性格は、少年時代のものからだった。彼は、東京の叔父宅に預けられたのだが、そこでの扱いはあまり幸福なものではなく、とりわけ食事が粗末だったという。しかし、「少年は特に自分を不幸だと意識することはなかつた」(86)。なぜなら、「幸福とか不幸とかいう観念は少年の中になかつた」から(86)。「少年というものは輿えられた運命を自然だと感じ、その運命の引いてくれた線の上を歩くものだ」(86)。
とはいえ、この「運命」に押しつぶされて、少年はますます内向的になっていく。そして人類学者としての彼の視線は、このような精神的環境のなかで育まれたと考えられる。

――俺が云つた通りだ。おまえは不良少年だ。伯父はそう云つて先見の明を誇つた。
――おまえが家出してから、此処の叔父さんは夜も眠らずに心配していられたのだぞ。
――月謝の金を持つて出るなんて不届千万だ。泥棒じやないか。
 少年はこれらの怒りの言葉の嵐をじつと頭をたれて耐えた。少年はそのうちにかく耐えている少年を見守つている少年であるようにも思われた。それらの怒りを盛つた言葉は少年の耳の傍を通り過ぎた。彼はそれらの言葉に何の反応も示さなかつた。……(102)

そのとき叔母が口を出して少年に云つた。
――ねえ、ちょつと行つてみたくなつて行つただけだわね。謝つてしまいなさいよ。
 少年は誰れにそして何をと胸の中で考えた。大人たちは事実の外で怒つたり罵つたり侮辱したりしているのだ。しかも大人たちは何処にその原因があるかそんなことに思い及んでいない。この考え方は少年に一種のゆとりを輿えた。叱られているのは少年自身ではない。大人たちが作つている、少年だと思い込んでいる少年の虚像だ。……(103)

「きだ・みのる氏の一連の作品に見られる風刺や、教養の深さや、視野の広さがどこから来るかはこの『道徳を否む者』を読めば解るだろう。これは一人の現代の知識人が辿った遍歴の跡を語る、類例がない位美しい魂の告白である」と評したのは、吉田健一であるという。まったくその通りであって、きわめて味わい深い作品である。