Dさん――歴史的方法の導入

よく分からないのだが、DはCの社会静学の有効性を否定しているようなのである。

  • …社会静学の対象は、Cも理解しているように殆ど不明確である。(117)

他方、これは社会動学といってもよいだろうが、Dは歴史的探求の必要性をこれ以上なく強調している。

  • しゃかい学の主要な諸問題は、政治的、法的、道徳的、経済的、宗教的制度や信念などがどのようにして成立したのか、いかなる原因によってそれらが生じたのか、それらはどのような有用な目的に応えるのかを探究することにある。これから我々が明確にしようとしている仕方で理解される比較歴史学はこの種の諸問題を解決するためにしゃかい学者が用いる唯一の手段である。(121)

史記述が必要である理由は、二つ。まず、制度の区分を認識するため。次に、制度の存在理由を説明するため。なお、存在理由=因果関係の同定には、キョウヘン法が用いられるわけだ。しかしここで重要なのは、「制度区分問題」に関わる以下の叙述である。

  • いずれにしても、制度を形成する様々な要素がどこから始まりどこで終わるのかを示すものは制度の中には何もない。生物の組織を構成しちえる諸細胞や、無機物を構成している諸分子が我々の肉眼では見えないのと同様に、それらの要素を目に見えるように相互に区分する境界線は存在しないのである。それらの要素を目に見えるようにするには分析器具が必要である。この役割を果たすのが歴史である。(121)

ということは、共時的構造を前にして分析がすぐには不可能なのは、その制度における諸器官の連携関係が特定できないからなのかもしれない。これは、仮説にとどまるが。最後、次の文章はすごい。

  • 将来、しゃかい学と歴史学の諸関係がどのようなものになるだろうかという点については、ここで意見を述べる必要はない。その関係は、常により緊密なものになるように運命づけられており、歴史学的精神としゃかい学的精神とが微妙なニュアンスによってしか違わなくなるような日が来るだろうことを我々は確信している。(126)