『大転換』(1944)

大学堂書店で1000円でゲット。つい、半分くらいまで読んでしまった。
昨日、Dore氏の『働くということ』を読んでいて考えたのは、人々は世の中を便利にしようと思って働くわけだが、それがかえって色んなゴタゴタを産み出してしまっているわけで、つまり、働くことによって、よりいっそう働かなければならない状況を生んでいるのではないかということだ。とくに、IT革命とか。たとえば、入力とかしなきゃいけないじゃん。同じことは、パクス・ブリタニカのなかでレジーム化していった自由主義経済体制についてもいえるわけで、金本位制などという脆弱なシステムが、どうしてあれほどまでにサステナブルと考えられたのかは、よく考えると、熱病に浮かされていたとでも言うしかないようなことであった。

  • 変化の問題の理解においてほど、自由主義哲学が顕著な誤りを犯したところはない。自然成長性への情緒的信仰に焚きつけられて、変化にたいする常識的態度は放棄され、その代わりに、経済的進歩の社会的結果は、それがどのようなものであれ、喜んで受け容れるという不可思議な態度がとられたのである。政治科学と政治技術の基本的な真理がまず疑われ、やがて忘れ去られた。統御されておらず速度が早すぎると思われる変化の過程はできることならその速度を落として社会の福祉を守るべきであるといったことは、造作もなくわかることである。こうした伝統的経世術のもつ常識的真理は――古代人から受け継いだ社会哲学の教えの引き写しにすぎないことが多かったのだが――一九世紀には、自然的成長の自己治癒力なるものにたいする無批判的信頼と結合した粗雑な功利主義の腐食作用によって、知識人の思考から抹殺されたのである。(44)

「第二部 市場経済の興亡」の「Ⅰ 悪魔のひき臼」では、18世紀の市場経済システムが誕生するまでの歴史が概述されている。ポランニーは、経済システムの諸類型における「自己調整的市場」の意味をきわめて重く見ている。封建制期までの西ヨーロッパの経済システムは、「互恵、再配分、家政」の3つの原理の組み合わせによって成立していた(72)。しかし、16世紀には重商主義システムのもとで「市場」が発生する。もちろん、この「市場」も、西欧国民国家の統制と調整による「一般的な社会的諸関係の内に沈み込ん」だものであり、19世紀の「自己調整的市場」とはまったく別のものだった。「自己調整的市場」は、「社会が経済的領域と政治的領域とに制度的に分割される」ことを要求する。つまり、「労働、土地、貨幣」が「商品化」され、市場メカニズムに包摂されていくという事態が、19世紀にあらわれるのである。ポランニーによると、その大きな誘因となったのは、「精巧で、それゆえに特殊化された機械設備の発明」であったらしい(99)。
そのような市場メカニズムの質的変化が「社会」に対する眼差しを生んだことが「スピーナムランド法」(1795―1834)を分析する際に解明されているのだが、とりあえずそれは置いておき、フムフムと大きくうなずいてしまった箇所を引用しておこう。

  • 貧困という苦痛に満ちた問題の真の意義がいまや明らかになった。経済的社会は人間の法則に<あらざる>法則に支配されたのだ。アダム・スミスとタウンゼンドのあいだにあったすき間は亀裂へとおしひろげられた。一九世紀的意識の誕生を画する分裂が生じたのだ。この時期以降、自然主義が人間科学につきまとったのであり、それゆえ社会を人間的世界に再統合することが社会思想の進化による絶えざる追究目標となった。【マルクスの経済学は、この議論に照らしてみれば、そうした目的達成にとっては本質的に不成功な試みだったのであり、その失敗の原因は、マルクスリカード自由主義的経済学の伝統にあまりにも執着しすぎたせいである。】(170)

労働価値説なんてウソだからね。もう一丁。これは本当か?!

  • ロバート・オーウェンほど深く産業社会の領域を洞察した者はいなかったのだ。彼は社会と国家の相違を深く認識しており、ゴドウィンとは異なり反国家的な偏見を持つことなく、ただ国家に実行可能なことだけ、つまり、社会から悪を取り除くよう計画された有用な干渉のみを期待したのであって、けっして社会の組織化を期待したわけではなかった。……彼は社会に対する動物主義的アプローチを退け、そのマルサス学派的およびリカード学派的限界を批判した。【しかし彼の思想の支柱は、キリスト教からの決別であった。オーウェンキリスト教を、「個人主義」という点で、すなわち、人格の責任を個人自体に負わせ、かくして社会の現実と人格形成に与える社会の強い影響を否定しているとして非難したのである。「個人主義」を攻撃する真意は、人間のもろもろの動機は社会にその起源があるのだという彼の主張のうちにあった。】(172)

ちょっと衝撃的ですらある。http://d.hatena.ne.jp/seiwa/20051201