重要な問題意識

  • RMS』の著者は、功利主義的あるいは人間中心的公準をしりぞけようとし、しかしあまりにもリゴリスティックな定式化のために、いきおい意味理解的、動機論的なアプローチを否認するかたちとなったが、実は、行為における「意味」の問題はむしろかれの関心のまったき中心に位置していたのではなかろうか。『SU』における自殺の定義は、この関心のいわば必然的な帰結だったのではあるまいか。(128)

まったくその通りだと感じる。『RMS』『SU』中心の読解は、あまりに過剰に科学主義的・法則主義的な理論家イメージを生みだしてしまった。しかしこれは、そんなに真に受けてはいけない主張であるように感じる。たしかに『SU』中の「種々の自殺タイプの個人的形態」という章には、意味世界を説明要因とする志向性を見出すことができるのである。
主体の決断(W)、といった思念のタイプではなく、不合理でさえある個人の意味世界の特性(集合的主意主義!)にせまろうとしたところが、十分注目される必要がある。