ラブレーとエラスムス、そしてモンテーニュ

とはいえ、同時代の教育思想である以上、ラブレーエラスムスの間には共通点があったことを見逃すわけにはいきません。両者に共通しているのは、「義務感の低下」という問題でした。
先に、ラブレーエラスムスより道徳に接近していたと述べました。ですがラブレーにおいても、人間の卑小さという視点はあっても、「義務感」という視点は欠けていました。ラブレーのテレ−ム修道院の秩序を成立せしめていたものは「品位」でしたが、この道徳的特性はエラスムスと同じく貴族的特性であったことに留意せねばなりません。「品位」は「趣味をめぐる競争」という含意を持つものであり、それが「他律的」でしかないという意味で、エラスムス型教育の欠陥を共有するものだったといえます。
このように現実との接点の希薄な教育体系が生じてきた原因の一つは、社会の富裕化・安楽化です。豊かになることで、中世において必要とされた禁欲的生き方から、人々は解放されると希望をもつことができました。このことが、現実から超越した夢世界にあそぶ教育思想を導きました。
しかし、こうした現実から超越した教育思想は、「教育というのは現実に役立たない」とする虚無主義を帰結する可能性も内包していました。そしてエラスムスラブレーから約50年遅れ、モンテーニュが、このような虚無主義的教育思想を語りはじめます。モンテーニュに言わせれば、人間の精神は教育などによって変形せしめられるようなものではありません。むしろそれは、自然的にあらかじめ決定されているものにすぎないのです。判断能力は、教育など存在しなくとも十分に持ちうるし、教育がなしうるとすれば、持って生まれた判断能力を現実的に適応させるための「訓練」でしかない――つまりモンテーニュによれば、教育とは「実践」なのです。教育思想の面からいうと、ルネッサンスは実は、「貧困の時代」なのでした。
まあ、こんな感じ。難しいね。