グローバル化?

グローバリズムとよく言われるが、「国民国家の時代」vs「グローバル化の社会」という図式で考えてしまうと、何かを欠落させてしまうような気がしてならない。なぜなら、国民国家装置を各国が模倣したということ自体が、まさに「グローバル化」そのものにほかならないからだ。現在、「グローバル化」として感じられていることは、もっと細かい指標を用いて、その内容を精査する必要がある。常識的には、福祉国家の終焉→新自由主義の開始、オールドエコノミー→ニューエコノミー(日本では1997年)といった点が妥当だが、その際、もちろん、冷戦体制の崩壊、という要因を見逃すわけにはいかない。
さらに意外と考える必要があるのは、「ポストモダン思想の洗礼を受けた実証主義的社会科学の変質」なのではないかと思われる。実証主義的社会科学がその科学性を自明のものとしてきた背景には、「法則論を探究する社会科学」というイメージが存在しており、このイメージが依拠していたのは、おそらく「近代化論的な世界観」であったと考えられる。つまり、「産業社会化・民主主義化」といった社会の趨勢命題への信憑ゆえに、実証主義的社会科学は生き延びてきたという事情があり、これが駄目になったということは、その「実証主義の妥当性」が根底から問われなければならないということを意味している。安易なグローバル論を私が危惧するのは、「グローバル化」という新たな趨勢命題を持ち出すことで、この「実証科学への根底的な不信」が問わずに済ませられるかのような語り口がしばしば見られるためである。