『生きる』

seiwa2006-05-14

1952年、黒澤明監督。脚本、黒澤明橋本忍、小國英雄。出演、志村喬小田切みき日守新一田中春男、千秋實、左ト全。四方田犬彦『日本映画史100年』より、一節を引用。

黒澤は五〇年代を、まさに向うところ敵なしといった調子で疾走した。彼は新東宝谷口千吉のために『暁の脱走』(一九五〇)をはじめとするいくつかの脚本を執筆し、『生きる』(一九五二)、『七人の侍』(一九五四)、『蜘蛛巣城』(一九五七)、『隠し砦の三悪人』(一九五八)といった作品を休む暇なく監督し続けた。『生きる』は、余命いくばくもないと宣告された老人が、残りの人生の時間をいかに使うかという問題に悩むという物語であり、主人公の体内の癌による空隙、精神的な隙間、そして町の中央に放置されている湿地帯という空隙の三者が重なりあい、自己治療の対象として現われる。主人公を演じた志村喬は、真面目かつ純情な正義漢にしてさらに迷いを重ねるという演技を通して、小津安二郎のフィルムのなかの笠智衆の達観ぶりと対照的な老いのあり方を、日本人の前に提示してみせた。(145−146)

見たのは中学生のとき以来2度目だが、確実に泣ける。143分でもぜんぜん長くない。通夜の席での同僚たちの議論に人間観察の鋭さを感じる。
ついでだから、引用を続けたい。

……『七人の侍』はのちに多くのアクション映画の原型となった。たしかに人物設定の妙と戦闘場面の面白さには、息を呑まんばかりのものがあり、三船敏郎の演じる豪快にして子供っぽい偽侍は、きわめて魅力ある造型である。だが黒澤が本来的に目論んでいたのは、定住者たる農民たちにどこまでの信頼されずに終わる浪人たちの敗北という主題だった。『わが青春に悔なし』の最後で、安易に主人公を農民啓蒙運動に参加させてしまったことへの後悔が、おそらく監督の胸中にはあったのであろう。『蜘蛛巣城』は『マクベス』の秀逸な翻案であり、説話行為に複式夢幻能の形式が採用されている。最後に『隠し砦の三悪人』は、黒澤の作品のなかでもっともダイナミックな空間認識が随所に見られるフィルムである。(146)

いまふと思い出したが、中学校の時に友人と連れ立って奈良の映画館で『七人の侍』を観たことがあった。あのときはセリフが全然聴こえないと思った。あと、『七人の侍』が浪人たちの敗北を描いたように、『生きる』もたんなるヒューマニズム作品よりはちょっとだけ深いことを言おうとしているように感じた。

日本映画史100年 (集英社新書)

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