『モーツァルト』

小林秀雄。なんとなく読んでみる。文章の配列が良いためか、なんとなく理解できてしまうところが怖い。

「つれづれ」という言葉は、平安時代の詩人らが好んだ言葉の一つであったが、誰も兼好のように辛辣な意味を、この言葉に見付けだした者はなかった。彼以後もない。「徒然わぶる人は、如何なる心ならむ。紛るゝ方無く、唯独り在るのみこそよけれ」兼好にとって徒然とは「紛るゝ方無く、唯独り在る」幸福並びに不幸を言うのである。「徒然わぶる人」は徒然を知らない、やがて何かで紛れるだろうから。やがて「惑の上に酔ひ、酔の中に夢をなす」だろうから。兼好は、徒然なるままに、徒然草を書いたのであって、徒然わぶるままに書いたのではないのだから、書いたところで彼の心が紛れたわけではない。紛れるどころか、眼が冴えかえって、いよいよ物が見え過ぎ、物が解り過ぎる辛さを、「怪しうこそ物狂ほしけれ」と言ったのである。……『徒然草』(77−78)

「兼好にとって徒然とは『紛るゝ方無く、唯独り在る』幸福並びに不幸を言うのである」。徒然を紛らわそうなどという考えは、ただ惑いのなかに逃げ込んでいるだけであって、自分と自分が引き受けているものから逃げていることにしかならない。自分に与えられたものを「分析し解体し、さまざまに解釈」するためには、「紛るゝ方無く、唯独り在る」時間、徒然なる時間が必要なのだ。
「怪しうこそ物狂ほしけれ」の部分については、次の文章を参照するとよい。

あるがままのものを、そのまま喜んで受け容れる精神を尋常な精神だとすれば、そういう喜びを否定し、与えられたものを享受する代わりに、これを分析し解体し、さまざまに解釈しなければ気のすまぬ精神は、危険な病的な精神である。だから止めにしたと言っても止めることはできない。だがいったんその道を進んだら徹底的に危険を経験してみなければ、駄目であろうと申すのだ。いつまで経っても批評精神の秘密はわかりはしない。
与えられた対象を、批評精神は、まず破壊することから始める。よろしい、対象は消えた。しかし自分は何かの立場に立って対象を破壊したにすぎなかったのではあるまいか、と批評してみたまえ。今度はその立場を破壊したくなるだろう。立場が消える。かようにして批評精神の赴くところ、消えないものはないと悟るだろう。最後には、諸君の最後の拠りどころ、諸君自身さえ、諸君の強い批評精神は消して了うでしょう。そういうところまできて、批評の危険を経験するのです。自分にとって危険であると悟るのです。そういう体験のなかで、批評という毒が創造の糧に変ずる機会があるのです。……『文化について』(24−25)

小林はこの文章に続けて、「しかし大多数の人が中途半端のところで安心しているように思われてなりません。批評は他人には危険かもしれないが、自分自身には少しも危険ではない、そういう批評を安心してやっている」と述べている。これは「徒然をわぶる」人の思考のあり方である。だが批評精神にとって、「徒然わぶる」暇は存在していない。解体はどこまででも進むのである。
しかもやっかいなことに、こうした批評精神は有用性とは別の次元で働くものであるため、なんの実益ももたらさない。それは学問とも違っている。

批評は、非難でも主張でもないが、また決して学問でも研究でもないだろう。それは、むしろ生活的教養に属するものだ。学問の援用を必要としてはいるが、悪く援用すればたちまち死んでしまう、そのような生きた教養に属するものだ。……『批評』(58)

役に立たないから、隠棲しなければならない。徒然でなくてはいけない。しかし、これは生活的教養のためになされることであるから、生活から退却することを意味するのではない。ここらへんの逆説を西行は、「捨てたれど隠れて住まぬ人になれば猶世にあるに似たるなりけり」とか、「世をすつる人はまことにすつるかはすてぬ人こそすつるなりけれ」などと詠んだ。

……西行が、こういう馬鹿正直な拙い歌から歩き出したという事は、よほど大事なことだと思う。これらは皆思想詩であって、心理詩ではない。そういうことを断っておきたいのも、思想詩というものから全く離れ去った現代の短歌を読みなれた人々は、これらの歌の骨組は意志でできているという明らかな事が、もはや明らかには見え難いと思うからである。西行には心の裡で独り耐えていたものがあったのだ。彼は不安なのではない、我慢しているのだ。何をじっと我慢していたからこそ、こういう歌ができ上がったのか、そこに想いを致さねば「猶世にあるに似たるなりけり」の調べはわからない。……『西行』(88)

隠棲し、徒然なる時間を手に入れ、批評精神を自己に突きつける。それを耐えるなかに、西行の詩が生まれた、ということだ。
しかし、なぜこのように隠棲を志さねばならず、なぜこのように批評的でなくてはならないのか。私はそういう価値観に共感するが、小林のようにそれをつよく要求しようとは思わない。要求するのではなく、ただ共感するだけだ。
今回流し読みをして気づいたことは、小林秀雄にはたぶん、美的な精神共同体へのつよい信憑があったのだな、ということである。

諸君は、歌に接して、何をするのでもない。何を理解するのでもない。その美しさを感ずるだけです。何のために感ずるのか。何のためでもない。ただ美しいと感ずるのです。歌や詩は、解って了えば、それでお了いというものではないでしょう。では、歌や詩は、わからぬものなのか。そうです。わからぬものなのです。この事をよく考えてみて下さい。ある言葉が、かくかくの意味であるとわかるには、Aという言葉を、Bという言葉に直して、Aという言葉の代わりにBという言葉を置き代えてみてもよい。置きかえてみれば合点がゆくという事でしょう。赤人の歌を、他の言葉に直して、歌に置き代えてみる事ができますか。それは駄目です。ですから、そういう意味では、歌は、まさにわからぬものなのです。……『美を求める心』(47)

つまり、「わからぬ」ものが「美」を構成するのであり、そういう「美」に到達するためには、あらゆるものの意味性を剥ぎとる作業が必要である、そして人間にとって美的感動というものは動かしがたく、それは人間の変わらぬ本質を構成するものであるからこそ、(それを可能にする)批評的精神は、(小林に言わせれば)誰にとっても必要なものなのだ――これが私の読解となる。
しかし、これが正しいとなると、「美」というものへの本質主義的な思い入れがいささか過ぎているのではないかとも思う。そもそも、批評家にとっての「美」と、詩人や小説家が生み出す「美」とは、性質がちがうものではないだろうか。詩人や小説家は、批評家的回路を通らずとも、ある種の「美」へと到達してしまうのではないだろうか。
また、人間にとって「美」というのは、そんなに重要なことなのだろうか。まったく美しくない人生については、どう考えたらよいのだろうか。

モーツァルト (集英社文庫)

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