鶴見俊輔

鶴見俊輔『期待と回想(上巻)』(1997、晶文社)より。

自殺を考えなくなったのは、この二十五、六年じゃないかな。桑原武夫さんにはじめて会ったとき、私はびっくりしたんだ。「ぼくは生まれてから自殺なんて考えたことないね」といった。私は、人間はだれでも自殺を考えてるものだと思っていた。「私は自殺を思わない日は一日もありませんでした」といったら、向こうもびっくりしてた。ぜんぜんちがうタイプなんだよ。私も七十歳になって、桑原さんの状態に近くなってきた。桑原さんの感化がゆっくりと私にあったのかもしれない。あったんだ。近ごろ、一度も自殺を考えないで一日が過ぎることがある。(27−28)

おふくろの子どもに生まれたというのが最大の悲劇だ。私に異常なところがあるとして、そのほとんどは生まれたあとでおふくろが私の中につくったものだというのが、いまの私の自己評価です。(112)

(母は)明らかに鬱病。自己嫌悪のかたまりだったね。そのかたまりを私は口を開けて押しこまれたんだ。子ども四人の中で私はおふくろに特別愛されていた。そうすると叩かれたり殴られたり、サディズムなんだよ。私にはマゾ的なところがあるよ(笑)。
何でもかんでも叱ったね。私の存在自体が気にくわない。しかもそれは過剰な愛のためなんだ。人生、生きにくかったね。……私がしゃべったり書いたりしていることは、全部、母親に対していっていることだ。生涯、母親を相手にして生きるってのがあるんじゃないですか。(79−80)

『戦争が遺したもの』(2004)より。

それ(結婚)が原因なんだ。神戸に「キングスアームズ」っていう、ローストビーフの店があったんだ。そこに結婚した彼女を連れていって、食事して出てきた。そうしたら、あそこは水夫がよくお客にくる店なんだけれど、そのそばに五十歳ぐらいの娼婦、老いたる娼婦が立っていたんだよね。そのときに何か、ガタガタっとこう、膝が落ちるような気がしたんだよ。立っている足元から、じゅうたんが取られるような感じなんだ。
……
つまり、「俺はこういう人と一緒になるべきだったんだ。老いたる娼婦と結婚することが自分に許されたことなんだ」ということ。……(235)