溝口健二『殘菊物語』(1939)

名作。フィルムセンター。

(143分・35mm・白黒)村松梢風の同名実録小説を原作にした、一人の歌舞伎役者の悲哀に満ちた出世譚である。『浪華悲歌』以来溝口が用いていた長回しのテクニックはここで完成度を一気に高め、緊張感あふれる大作となった。花柳章太郎の初出演作品である本作は、フィルムの現存しない『浪花女』や『芸道一代男』と合わせて“芸道三部作”と呼ばれる。
’39(松竹下加茂)(原)村松梢風(脚)依田義賢(撮)三木滋人、藤洋三(美)水谷浩(音)深井史郎(出)花柳章太郎、森赫子、高田浩吉、川浪良太郎、高松錦之助、葉山純之輔、尾上多見太郎、結城一朗、南光明、天野刃一、井上晴夫、石原須磨夫、廣田昴、富本民平、保瀬英二郎、伏見信子、花岡菊子、白河富士子、最上米子、中川芳江、河原粼權十郎、梅村蓉子

双葉十三郎『日本映画 ぼくの300本』より、見事なまとめ。

…明治の初期、江戸歌舞伎の首脳・五代尾上菊五郎の養子菊之助花柳章太郎)は芸が未熟で不評続き、酒に溺れて憂さを晴らしているのを、身分のへだてもかまわず諫めてくれた雇い女のお徳(森赫子)と愛し合うようになり、二人で東京を離れ大阪で所帯を持つが、上方歌舞伎でも受け容れられず、旅まわりの一座に加わって放浪するうち、お徳の献身と苦労の積み重ねのおかげで芸にも開眼、お徳は名古屋へ巡業に来た菊五郎に自分が別れることを条件に菊之助の復帰を懇願する。かくて見違えるような芸達者になった菊之助は人気を爆発、晴れて大阪に乗り込んだとき、菊五郎から、女房に会ってやれ、と云われ、お徳のもとへかけつけるが、彼女は重い病に仆れており、裃をつけた彼の晴れ姿に微笑みをうかべながら死んでいく。/溝口監督はこの作品で一シーン一ショット演出を定着させ、格調ゆたかな秀作を生み出した。お話が定石どおりなのがマイナスだが、東京の歌舞伎座から大阪・道頓堀の華やかな船乗り込みへと、各地の劇場を舞台にした情景描写が非常に興味深かった。出演者も舞台の人たちが中心でがっちり、とくに森赫子が好演だった。

長回し自体は昨日の『祇園の姉妹』の冒頭、引越しの場面でも用いられていたが、たしかにお徳が菊之助を諫める夜明け間際のシーンでの1カットの呼吸の長さは印象的なものだった。とりわけ歌舞伎座を中心とする舞台美術が見事で、また菊之助が西瓜を切る台所の場面、お徳の実家(鬼子母神近く、雑司ヶ谷)、大阪での二階住まいなど、細々した舞台もすばらしかった。感動して泣いている人もいたけれど、とりわけ最後の道頓堀での船乗り込みの場面では、チンチンドンドンと鳴り響く太鼓や鉦の音が、お徳に向けられた挽歌のようにも聴かれ、涙を誘うのに十分なものだった。