『父親たちの星条旗』

今日は書きたいことが多くて困るのだが、まずはこれから。渋谷シネセゾン。渋谷で映画を見るのは実は好き。
クリント・イーストウッドの作品は『ミリオンダラー・ベイビー』を見たことがある。私はそんなに感心しなかった。各所で高い評判の『星条旗』はどうか?興味津々で見に行った。
二日前にHiroumixと話したときにも議論したのだが、やはりこの監督には一定の限界があるようだ。Hiroumixは「説教くさい」「アメリカの井筒和幸」と評していたが、なかなか的確な批評というべきだ。
もちろん戦時の異常な高揚感や、それと表裏をなすあっけない死、その落差など、観客の情感を自在に連れまわす質の高い映像が展開されているのは確かである。もはや主観ショットを許さない戦場のカオティックな状況は圧倒的だし、CGとロケの映像の構成も素晴らしい。硫黄島での戦いのリアリティーがしっかり伝わってくる。また、「神話化された兵士たちが戦時国債を売る立場に追いやられる心理的葛藤」という実は盛り上がりに乏しいストーリーを、2時間そこそこのプロットに纏め上げた手腕にも目を瞠るべきだ。回想形式に付与されたサスペンスにも『プライベートライアン』に良く似た工夫が認められる。
しかし、『ミリオンダラー・ベイビー』も全くそうだったように、結局のところ「イーストウッドの人生論」になってしまうのは、どうなのだろう?たしかに過酷な戦争や世論に翻弄される自己を経験したうえで、自己の生を律する、静かだが強靭な倫理を手に入れた登場人物に、われわれが共感する面は多い(ここですよね?ポイントは)。さらに、戦争という狂乱的な大スペクタクルを描いたうえで、それだけには終わらず、最終的に個人の生き方の問題が提示されるというのも、この映画が表層的ではないある深さに到達していることを示すのに十分である(これは戦争描写の深さにも通じる)。けれどここで問いたいのは、人生とは果たしてそういうものなのか、ということだ。イーストウッドの提示する人生のイメージは、かっこよすぎて、うそくさい*1
面倒になったのでここら辺でやめるが、とはいえ、私は間違いなく「硫黄島からの手紙」も見てしまうのだろう。辛口で批判するというのは、批判するだけの価値のある映画だからであって、この映画が『男たちのYAMATO』級の傑作であることは、おそらく疑えない(←やっぱり皮肉か?いやいや、違うはず)。

*1:アメリカ人の宗教倫理とはそういう側面を伴うものなのであろうが…。