平出鏗二郎『東京風俗志』(1899〜1902)

田舎の人は子どもを学問させるなら東京でと考える。実際、東京にはさまざまな専門教育機関が発達している。だが江戸っ子の卑しい人品を考えても、東京が普通教育において効果を上げているとは言いがたい。とくに小学校の整備はほとんど進んでいない。明治29年12月の調査によると、学齢児童総数28万8196人の一方、公立小学校は尋常、高等含めてわずかに71校である。私立学校は300余り存在しているが、すべての点において公立小学校に劣っている。公私立あわせて389校では児童全員を就学させることは難しく、また東京の場合とくに教育に充てる経費が不足しているため、経営のためには授業料を値上げしなければならない。私立はそれに付け込み、儲け第一主義に陥っている。
くわえて学齢期児童の不就学問題が深刻だ。3分の1は未就学であるが、その主要な原因は貧窮である。東京では都市貧困の問題が生じており、細民家族が8円か9円の月収のなかから教育費を捻出することは非常に困難だ。これに対応するために「御慈悲学校」や「貧乏学校」といった施設も用意されているが、社会的な体面を保てないなどの問題もある。
某落語家は話のマクラに「どうもハァー駕籠を担いだり、腕車をヒクやうな者の子供は、世が開けて学校が出来てから、無筆になつたそうだネ」などと振っているそうだ。これは当たらずとも遠からずである。就学率を見れば東京は全国42市中、下から4番目にすぎない(宇都宮、新潟、神戸)。市参事会は明治32年以降の予算措置として、今後10年ほどの間に90校を新設、それに300万円を充てる計画を策定している。これが本当であれば心から歓迎したい。教育を受けずに成長する子供はスリや強盗をして生活しているが、このことはいずれ深刻な治安悪化をもたらす危険がある。先の本郷の大火事にもそうした面がないとはいえない。
個々の学校の教育環境にも様々な問題点がある。教室には上級生下級生が一緒くたにつめこまれ、まるで豚小屋のようである。私の知っている例では、教師がいない時に赤ん坊を背負った妻が教室にあらわれ、生徒が「へのへのもへ」をして遊び呆けているのを止められないでいることがあった。また教員資格を持たない人間が名前を偽って教場に現われることも多いようだ。物品の不明朗な受け渡しも見られ、これでは月謝などの点でも節度を保っていた寺子屋時代の方が何倍かましである。とはいえ、日本橋常磐学校、麹町の番町学校、富士見学校などは良い教育をしているので、これらに期待する所大である。
…というような的確な分析が展開されていて、面白いし、驚く。原文とこの記事を読み合わせたら、きっと笑えると思います。
今日は神保町に行きたかったのに、雨ということもあって行かず仕舞いになった。NHKでネット社会の討論番組をやっていたので、つっ込みを入れまくりながら視聴した。

東京風俗志〈上〉 (ちくま学芸文庫)

東京風俗志〈上〉 (ちくま学芸文庫)