焼跡闇市派

きのう最初のほうのエッセイを読んでいたら、泣いてしまいそうになった。少年院出張所でのはなし。

箸の間からぽろぽろこぼれる高粱飯を、実に丹念に噛みながら、少年は食べる。いろんな説があった。噛まずにのみこむと、少しでも胃袋にモノのある感じが長引くとか、よく噛んだ方がいいとか。少年のすべて、牛のように反芻ができた。ぼくは、今でもできる。胃の中に入れたものを、ちょいとしゃくるようにして口の中にもどせる。高粱飯を何度も反芻し、やがていくら努力しても、なにももどらなくなった時の、悲しさといったらない。高粱飯は赤いから、赤い糞がでる。少年達は糞をする時、実に恥ずかしそうな顔をした。チンピラも「俺の臭いけれど、我慢してくれよ」といちいち断っていた。下痢と便秘のどちらかにわかれていた。形のある糞など、たまらない。便秘の少年の、ようやくひり出した糞も、小便にまじるとあっけなくとけてしまう。(56)

お尻の肉がなくなり肛門があらわになると死ぬという言い伝えにおびえる少年たちが、「大丈夫、みえねえよ、心配するなよ」と互いになぐさめあっている、悲惨のなかでの人間的暖かみが、つらい。
14歳で養父母を空襲で亡くし、乳飲み子を背負って生活していた、例のはなしもつらい。「ぼくは、恵子を愛していたと自信もっていえるが、食欲の前には、すべて愛も、やさしさも色を失ったのだ。」(24)