『昭和天皇伝説』

松本健一、1992→2006、朝日文庫
茨城県の国体で、血盟団事件に参加したテロリスト菱沼五郎と並び、写真に写る昭和天皇。真崎甚三郎の息子真崎秀樹を通訳官とした昭和天皇北一輝出口王仁三郎三島由紀夫近衛文麿坂口安吾らを、昭和天皇がいかにまなざしていたのかという想像的視点。情緒過多でほとんど論旨不明だが、興味深い事実が多い。
しかし、顕密二元体制と立憲君主制というのはほとんど同義なのではないか、そうであれば、前者のようなおどろおどろしい言葉はじつは不要なのではないか、と感じた。昭和天皇立憲君主として振舞ったことは、みずからを政治的権力なき精神的存在とみなすことであり、それを自覚してふるまった昭和天皇の行動原理が、顕密二元性の本質――すなわち、天皇機関説ならぬ天皇親政説をほかならぬ国民が欲したという真実――へと向けられていたことは、それほど不思議なことではないのではと思った。
もちろん、そうした真実をすべて見通したうえで、国体への恭順をかたくなまでに貫いたのだとしたら、昭和天皇がえらいことは間違いない。しかし、それにしても著者の感情移入ぶりには違和感が残る。たしかに自身のおかれた位置を冷徹なまでに自覚がするゆえに、みずからを天子と考えた北一輝(あるいは出口)の本質をいちはやく見抜き、2・26事件に際して、立憲君主としての振る舞いを逸脱する行動を取ったのだと想像することは、昭和天皇についての想像を刺激するのに十分ではあるのだが。
少なくとも出口王仁三郎はニセ者のような気がして仕方がない。昭和天皇と並べて論じるのは無理があるのではないか。

三ぜん世界一度に開く梅の花、艮(うしとら)の金人(こんじん)の世に成りたぞよ。梅で開いて松で治める、神国の世になりたぞよ。日本は神道(しんだう)、神が構(かま)はな行けぬ国であるぞよ。外国は獣類(けもの)の世、強いもの勝ちの、悪魔ばかりの国であるぞよ。日本も獣の世になりて居るぞよ。外国人にばかされて、尻の毛まで抜かれて居りても、未だ眼が覚めん暗がりの世になりて居るぞよ。是では、国は立ちて行かんから、神が表に現はれて、三千世界の立替へ立直しを致すぞよ。用意を成されよ。…
神が開かな、開けんぞよ。開いてみせう。東京は元の薄野(すすきの)に成るぞよ。永久は続かんぞよ。…(104)

関西弁で読むのが正しい?王仁三郎は昭和10年第二次大本教弾圧で逮捕され、八年後に仮出所して焼け野原を見たとき、こう言ったらしい。

このように日本はなるのや。亀岡は東京で、綾部は伊勢神宮や。
神殿を破壊しよったんやから、宮城も伊勢も空襲をされるんや。

やはり関西弁。完全に気違いである。