大島渚『天草四郎時貞』(1962)

フィルムセンター。

(101分・35mm・白黒)江戸時代初期に民衆蜂起を率いた少年・天草四郎に材を採った大島渚唯一の東映作品。娯楽の王道をゆく東映時代劇に“60年安保”から連なる政治運動の戦術論を持ち込んだ問題作であり、天草四郎を演じる大川橋蔵とその理解者・大友柳太朗が長い議論を戦わせる。
’62(東映京都)(撮)川崎新太郎(監)(脚)大島渚(脚)石堂淑朗(美)今保太郎(音)真鍋理一郎(出)大川橋蔵丘さとみ、大友柳太朗、三国連太郎、立川さゆり、河原崎長一郎千秋実加藤嘉花沢徳衛佐々木孝丸平幹二朗佐藤慶戸浦六宏

異色の問題作。「アメリカ帝国主義VSプロレタリアートの対立」という左翼的世界観を前提に、「極左冒険主義」(新左翼)と「日和見主義」(日共)の間での戦術論が戦わされる。革命の主観的条件が熟するのを待つのは「日和見主義」なのか、武装闘争路線は「極左冒険主義」にすぎないのか。革命主体としての実存的投企は冒険的に可能なのか、戦略的に果たされるべきなのか。
ややこしいのは、ここに神学的問題が関与してくるためである。キリストはなにゆえに磔刑に処せられたのか。神は神であるのになぜ失敗するのか。じつは神は失敗することによって人々を救済するのである。革命は失敗することによって成就されるのだ。こちらも参照。
しかしそうだとして、どのような失敗の仕方が神の御業たる失敗といえるのだろうか。天草四郎の失敗ははたして神のものか、人間の所業にすぎないものか。疑問は残されたままのように思える。
この問いは宙ぶらりんのまま、唖然とするほどに、唐突に打ち切られる。三国連太郎(ユダ?)も非常に謎めいた存在だ。