望月六郎『鬼火』(1997)

意外にも、傑作。無秩序で暑苦しい大阪の街の中に素晴らしい詩情を見出し、見事にそれを浮かび上がらせた。

公開:1997年 監督:望月六郎
主演:原田芳雄片岡礼子哀川翔、北村康、南方英二奥田瑛二、速見典子
その昔「火の玉」と呼ばれ恐れられたヒットマンが50年ぶりにシャバへ戻ることに。弟分の谷川には極道社会への復帰を勧められるが…。殺人の罪という業に人生を翻弄される悲しい男の生き様を描く傑作ハードボイルドもの。原案は『シャブ極道』原作者の弁護士でもある山之内幸夫。

任侠やくざ映画とVシネマの2つの文法が読み取れる。
東映映画において、スターの<貴種流離譚>を描くチャンバラ映画から、禁欲的な主人公が忍耐のすえに暴発する任侠やくざ映画へと移り変わりはじめたのは1963年だったと山根貞男さんは書いている(『活劇の行方』33ページ)。そこには映画が大衆の娯楽であることをやめたという背景事情があるが、任侠の美学に貫かれた不器用な主人公(原田芳雄)が命を賭けて仁義を貫くというセオリーは本作でも踏襲されている。
またVシネマというのはよく知らないが、ピアノを弾く美人のお姉さんが物凄い勢いでセックスに溺れるというのは、エロの文法ではないか。清楚なお嬢さんなのにたまたま悪いヤクザにつかまって汚れてしまった、でも汚れてるんだけど清楚な心は持ち続けている、その挫折した心の裏側にある清らかさを、真っ直ぐだからこそ辛酸を嘗め尽くした心優しいヤクザ(原田芳雄)が理解し救ってあげる、というのはたぶんVシネマの文法だと思われる。
任侠やくざ映画では男は女に対して禁欲を貫くからその意味では新しいバージョンとも言えるわけだが、この映画が成功している大きな理由は、何と言っても大阪という舞台設定にある。原田芳雄の飄々としたギャグセンスは、日常を笑い飛ばすことによって、日常の欺瞞性への批評を含んでいる。もちろん笑いとばしながら日常にしっかりとコミットしているわけだが、そのコミットがどうでもよくなる瞬間、ばかばかしく感じられる瞬間があって、その瞬間に日常を超えたロマン主義的な美が漂い始めるのだ。
うまく書けないけど、とにかく傑作。原田芳雄の演技が素晴らしい。誰も居ない学校の夕日の差した体育館でピアノを二人で演奏している場面は誰が見てもセンチメンタルになるはず。オススメです。
原田芳雄