渋谷実『青銅の基督』(1955)

公開:1955年 監督:渋谷実 脚本:斎藤良輔、撮影:長岡博之、美術・松山崇 主演:岡田英次滝沢修香川京子石浜朗山田五十鈴野添ひとみ
徳川幕府キリシタン弾圧が激しさを増す中、南蛮の宣教師・キリシトファ・フェレラは拷問に耐えかね、幕府側に寝返る。フェレラの提案により踏み絵代わりにキリスト像を作らされる鋳物師・裕佐とキリシタンの娘・モニカがむかえる悲劇とは?渋谷実唯一の大作時代劇。

フィルムセンターに飾られている香川京子の写真がこの作品のもの。期待して観にいったら、山田五十鈴も出ていたので、嬉しかった。
作品は相変わらずの破綻ぶり。むしろどのように破綻しているかが関心の対象だったりする。信仰に殉じる香川京子キリシタン、屈折を含みつつ愛に殉じる山田五十鈴、愛や信仰などではなく日々の生活のなかでの幸福をひたむきに追い求める鋳物師、神父でありながら転びキリシタンとなって役人と通じている中途半端なエセ神父。それぞれに物語を背負っているのだが、それらの物語が交差し、収斂していくことがまったくない。それを一つの映画のなかに押し込もうとしているのだから破綻は必然的だといえる。
ただし中途半端に物語として成立させようとするのではなく、あくまでも破綻したままなのが凄いといえば凄い。とくにエセ神父の中途半端ぶり、俗物ぶりは筆舌に尽くしがたく、そのろくでもなさ、中途半端さにおいて、逆に徹底しているともいえる。とんでもない監督である*1

*1:ちなみに、帰宅してから『DEATH NOTE』を見たら、あまりにプロットが良くできているので、感動してしまった。