小林信彦『地獄の映画館』(集英社文庫)のなかで、「マリリン・モンローの死は、アメリカよりもヨーロッパにショックをあたえたというが、私には、それが、なぜショックか理解できなかった」として、次のように書かれている。

今度「マリリン・モンローの世界」(フォックス)という映画が出るが、これを見て初めて“ああ、惜しい人をなくした!”とホンキで思ったのである。/この映画はモンローのデビュー当時から死ぬ間際の「女房は生きていた」(略)までの、彼女の出る名場面を集めたアンソロジーで、ロック・ハドソンが解説をしている。/見ていて驚くのは、初めのチョイ役時代には、どこか卑しい影のあったモンローが、死が近づくにつれてぐんぐん美しくなり、中絶した作品の如きは、高貴といいたいほどの匂いと輝きを見せていることだ。/……/モンローは、アメリカ人の夢だったと一口にいうが、夢というより、アメリカ人の中に欠如した何かが、ああいう形をとってあらわれたといえるのではないか。彼女の白痴的美しさ、ダラシナサ、単純さ――すべてこれ、現実だったらタマラナイが、イメージとしては、いつまでも、どこかにしまっておきたいようなものばかりだから……。(307−308)

「モンローは、アメリカ人の夢だったと一口にいうが、夢というより、アメリカ人の中に欠如した何かが、ああいう形をとってあらわれたといえるのではないか」という一節は、意味がよく分からないものの、気になる一節だ。