西部邁『六〇年安保』(洋泉社新書)

名著。これだけパセティックな叙述なのに辟易することがないのは、西部先生の他にはリリー・フランキーくらいしかいないだろう。
唐牛健太郎、篠田邦雄、東原吉伸、島成郎、森田実長崎浩。虚無世代、西部邁にとってのブントは、虚無世代の実存的混乱を収拾するための私益の場にすぎなかった。年長世代である島成郎にとっても、六全協共産党への憤りによって生み出された場にすぎなかった。そもそも六〇年安保は、政治的なオルタナティブを掲げない、感情的暴発でしかなかったのである。六〇年安保は、アメリカによってもたらされた自由と平等の枠組みの内部で、他ならぬ「反米愛国」を掲げるという自己矛盾を感情浄化し、高度成長を欺瞞的に享受するためのエクスキューズとして機能したのだ。
青木昌彦、香山健一、坂野潤治らの名前も見える。六〇年安保は、reflexiveな人格の自分探しであったという意味で、ポストモダン時代の予告編だった。西部先生の「保守主義」もポストモダン思想の系列に属すると考えてよい。

六〇年安保―センチメンタル・ジャーニー (洋泉社MC新書)

六〇年安保―センチメンタル・ジャーニー (洋泉社MC新書)