今日はけっこう勉強が進んだような気が…。
加藤陽子『戦争を読む』(勁草書房)が面白かった。福田和也が『週刊新潮』で薦めていて、どれと思って読んでみたら、加藤が福田を誉めているというマッチポンプ。でもこのクオリティーだったら、マッチポンプでも何でもどんどんやってくださいという感じ。「高木惣吉『自伝的日本海軍始末記』」が自らの学者人生を回顧する読ませるエッセイだったが、他にも『検証 戦後責任Ⅰ』の末尾の一節などが興味深かった。

たしかに昭和戦前期において、国民が振り返るべき好ましい近代は、天皇制とともに始まっていた。近世社会の内包していた教育的基盤の深さや産業経済の発展レベルの高さが想起されることは絶えてなく、戦勝による大国化が自らの誇るべき「歴史」であると解釈されたのである。考えてみれば、戦争というものは常に、相手国の国民が信じている社会契約や基本的な秩序をめぐって戦われてきた。太平洋戦争は、天皇制のもとでの戦勝により近代国家として成功してきたと考える日本人の社会契約=「国体」観をめぐる、日本と連合国との戦争であったと総括できる。(131)

シュミット=長谷部説の歴史学者による追認といった所だが、歴史学者もやっぱりそう思うんだなって思った。それにしても歴史研究ってやっぱり良いよね。

戦争を読む

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