ひたすら作業。1時間で終わると思ったのに、みっちり4時間かけても終わらず。見込み違いだった。
昨晩、寝っ転がってプレスナー『遅れてきた国民』をパラパラ読んでいたのだが、ドイツ人にとってのルターの重さが分かったような気がした。ナチズムを生んだロマン主義的思潮、民族意識は、アウクスブルク宗教和議(1555)以降の領邦教会制度に淵源する。オランダやイギリスはカルヴィン派などの徹底したプロテスタンティズムへと展開したが*1領邦教会制度は、ドイツにおいて、個人主義的な宗教意識を中途半端にしか開花させなかった。なにしろ個人が宗派を選べなかったのだ。中世の彼岸観念の重みを背景に教会の世俗化は完全には成し遂げられず、神秘的宗教的思潮は個人主義と混合して、音楽や哲学などの文化面での発展を導いた。他方、ドイツはフランスのように「啓蒙主義によるカトリシズムとの対立」というかたちでの世俗化の徹底も経験することがなかった。カルヴィン派と啓蒙主義、この両者からドイツは取り残されたのであった。『ルターの呪い』という題名でも良かったかも。いちおう引用。

個人の無名性は、カトリシズムにかなっている。…しかし、この無名性はプロテスタントの信仰とは相容れない。したがって、巨大な近代国家の発展する時代にあって、宗教心のあつい人々は、国教会から疎外され、その信仰ゆえに世俗の場を探し求める傾向を生じた。世俗の場でこそ彼らは持てるエネルギーを存分に投入し、現世において神の子であるというルター派の人間にとって最高の幸福、すなわち人格が認められる。こうしてドイツでは十八世紀後半以後教会よりも、むしろ学問と芸術という自由な職業が真の信仰を持つ人間に名誉をもたらし、かつ信仰を失う危険ももたらした。(113)

ちゃんと読んでもよい本のような気がしてきた。
あと、歴史記述についてつらつら考えてみたのだが、ヨーロッパ史は「宗教意識が世俗との関係でどう変質していくか」という「個人の世界観に関わる歴史像」として描けるのに対して、日本史って、世界観とかかわるかたちで記述されることがほとんど不可能なのではないかと思う。思うに、日本史が保守主義的な構成で出来ているのではないだろうか?保守主義とはもともと現状肯定の精神であり、異質なイデオロギーからの攻撃をうけて、体系化を余儀なくされるところに思想として成立する。日本史の歴史的構成とはそのようなものではなかったか?逆にヨーロッパは、彼岸との関係で、此岸の意味が絶えず問い直される状況があったのだろう。彼岸とか此岸とかの意識は日本にもあっただろうけど、それが問い直されるような契機が、キリスト教流入によって組み入れられることになったのではないだろうか?
まあいい加減な思いつきなので、無視してください。

*1:いや正確に言うと、イギリスのことはよく分からない。イメージつかめないな。