まだ読み終えていないが、さすが坪ちゃん、読ませる。装丁も素敵。
しかし冒頭の「まぼろしの大阪」からしてちょっと大阪を良く書き過ぎているように感じる。「まぼろし」だからそれで良いのかもしれないが…。
その意味で、谷沢永一との対談は読み応えがある*1。「大阪や関西は子供の時から凄くモダンな感じがしてたんですよ」という坪ちゃんに対し、「大阪っていうのはもっと泥臭く土臭い(笑)」と応じる谷沢。坪ちゃんの「美しき誤解」から生まれた大阪論であることは否めないだろう*2
とはいっても子供の頃、551の豚まんを食べながら大阪球場南海ホークスを応援したことや、大阪球場の下のスケート場でスケートをやった想い出を振り返ると、自分のなかの大阪も、まぼろしの如くモダンに美化されてくるのだった*3。球場下の古本屋で『壺と私』という本を見つけ、父親に褒められたよく分からない記憶も蘇ってきた。

まぼろしの大阪

まぼろしの大阪

成瀬好きの私としては無視できないので読んでみたら、驚くほど文章が下手くそ。これはちょっとどうかと思う。しかも著者は成瀬が好きというわけでもなさそうだし、そもそも映画に対する批評眼があるようにも思えない。素材は良いが著者がダメ。
映画の中の昭和30年代―成瀬巳喜男が描いたあの時代と生活

映画の中の昭和30年代―成瀬巳喜男が描いたあの時代と生活

*1:東京の「英雄崇拝」が大阪にはない、との指摘は切実に分かる。切実というか、痛切というか。

*2:それを自覚しているからこその「まぼろし」なのだろうけど。

*3:溝口健二の『浪華悲歌』『殘菊物語』なんかを思い出してみても、やっぱり大阪ってモダンなのかもしれないぞ、と感じられてくる。よく分からん。